ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.10.7


. 「小岩井農場・パート9」【下書稿】

「[幻想だぞ。幻想だぞ。【こんな幻】
 しっかりしろ。
 かまはないさ。
 それこそ尊いのだ。]
【おゝ】ユリア、あなたを感ずることができたので
 私はこの【人生の経営から】[巨きな]さびしい旅の【中から】[一綴から]
 血みどろになって遁げなくても【よくなったのです。】[いゝのです。]」

↑推敲がごちゃごちゃしているので、【下書稿】のいちばん最初の形を復元してみましょう:

「おゝユリア、あなたを感ずることができたので
 私はこの人生の経営からさびしい旅の中から
 血みどろになって遁げなくてもよくなったのです。」

ずいぶん生々しいテキストになりました‥

【初版本】では、「きみたちに今日会ふことができたので」になっていた処が、最初のテキストでは、

「おゝユリア、あなたを感ずることができたので」

だったのです。
作者が、いかに強く、「ユリア」を──‘かつての?’恋人嘉内を、心の頼りにしていたかが、よく分かると思います。

私たちの時代の言葉で言えば、恋愛相手への“依存”そのものではないでしょうか‥

「この人生の経営から〔…〕
 血みどろになって遁げなくてもよくなった」

も、ただごとではありません。「この人生の経営」を「さびしい旅」と言い換えてもいます。

かつて、賢治が保阪に送った半分以上支離滅裂な手紙の中に:

「わが友の保阪嘉内よ、保阪嘉内よ。わが全行為を均しく肯定せよ。」

という一節があったことが思い出されます。

賢治としては、たとえ幻想でも幻覚でも良いから、嘉内本人が現れて、賢治のしていることは“すべて正しい”と、嘘でも良いから言ってくれなくては、生きてゆく気力さえ搾り出せない気持ちだったのではないでしょうか?‥

もちろん、ふだん勤務先と自宅を往復している毎日においては、そんな気持ちがあることさえ意識下に抑え付けていたかもしれません。

しかし、小岩井の開放的な野原にやって来て、数時間の《歩行詩作》を続け、農場の人々と心の通い合う交流もし、雨でずぶぬれになって歩き続けた果てに、ようやく、この抑えられていた感情が表面化して、解決を求めて悶え始めた──ということなのではないでしょうか?

作者が、ここに至るまでに何度も‥、早く切り上げて農学校に帰りたい、同僚の教師たちに会いたいと思い‥☆、またその逆に、行く手に待ち構えている“暗い世界”に

「かたなのやうに突き進め」

という至上命令のような声が、胸から沸き起こるのを聞いていたのは、

この深層の感情との対決を遂行すべきか、回避すべきかの迷いだったのかもしれません。。。

☆(注) 堀籠教諭のような通常人──同性に恋愛感情を持ち得ない人を、新たな“対象”にしようとしても、それこそ全くの幻想であって、気休めでしかなく、何の解決にもなるものではありません。

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