ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.10.2


“4本の桜”について、「パート4」では:

72向ふの青草の高みに四五本乱れて
73なんといふ氣まぐれなさくらだらう
74みんなさくらの幽霊だ
75内面はしだれやなぎで
76鴇いろの花をつけてゐる
   〔…〕
134みちがぐんぐんうしろから湧き
135過ぎて來た方へたたんで行く
136むら氣な四本の櫻も
137記憶のやうにとほざかる

と、述べていました。

これについて、菅原千恵子氏は:

「若木のようだった四人の仲間たちはむらきな四本の桜ではなかっただろうか。」

「それは桜の木になぞらえた『アザリア』の四人の仲間のことであり、目には見えていないが心には見えている四人のことである」
(『宮沢賢治の青春』pp.172-173)

と指摘しておられます。

20ユリア、ペムペル、わたくしの遠いともだちよ
 〔…〕
29きみたちとけふあふことができたので
30わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
31血みどろになつて遁げなくてもいいのです

たとえ幻影でも象徴でも、小岩井農場のスケッチのただ中で、今は遠く離れている仲間たちに‘会う’ことができたのは☆、作者にとって、“生きてゆく力”を回復するほどの意味があったのです。

☆(注) 当時は、手紙が唯一の通信手段でした。もちろん携帯電話などはなく、固定電話にしても、どこにでもあるわけではなく、誰でも使えるわけではありませんでした。宮澤家の店には、あったかもしれませんが、仕事以外で使うことはなかったでしょうし、保阪、河本の家には無かったでしょう。まして、アメリカ留学中の小菅との通話は事実上不可能であったと思います。

菅原千恵子氏の説明を参照しますと:

「そうなのだ。ユリアもペムペルも、そして『……』も作者の昔の友だちだったのだ。作者はこれらの友達と春の小岩井の風景の中で出会うことによって、〔…〕
  血みどろになつて遁げなくてもいいのですという安らかな心境を得ることができた。そしてそればかりかある一つの重大な謎が解ける。それは作者がずっとわからずに悩み続けていたものの正体を知ることでもあった。〔…〕自分とたったもう一人のたましいとのみ永久に歩こうと求めること、それは相手が男であれ女であれ、もう恋愛なのだと作者は気づいたのだ。」

(菅原千恵子『宮澤賢治の青春』,角川文庫,pp.174-176.)



 

. 春と修羅・初版本「パート9」

01すきとほつてゆれてゐるのは
02さつきの剽悍な四本のさくら
03わたくしはそれを知つてゐるけれども
04眼にははつきり見てゐない
05たしかにわたくしの感官の外で
06つめたい雨がそそいでゐる
07(天の微光にさだめなく
08 うかべる石をわがふめば
09 おヽユリア しづくはいとど降りまさり
10 カシオペーアはめぐり行く)

《アザリアの4人》を象徴する“4本の桜”の花が、林地の奥に見え隠れしています。

「わたくしの感官の外で/つめたい雨がそそいでゐる」──雨も、さっきからずっと降っているのに、すっかり濡れてしまった作者の服と身体は、もう、雨が降り続いているのかどうかも感じなくなっているのです。

雨の冷たさが「感官の外」に退いてしまうほど、作者の胸のうちには、熱い想いが滾り立とうとしています‥

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