ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.9.2


ところで、瓔珞を「まっすぐに」垂らした天人たちですが、賢治は、どこかのお寺で荘厳具の瓔珞が下がっているのを見て、この詩を着想したのだと、初めは思っていました。

しかし、それにしては、作品日付の日には小岩井農場で一日かかるスケッチ行をしていて、お寺に行く暇があったとは思えません。。

しかし、実は、小岩井農場の《本部》建物にも、瓔珞を垂らした飾りがあったのです:

「農場本部には、素朴ながら切妻の軒に瓔珞飾りを下げたポーチと、寄棟の頂には望楼がデザインされていたのです。賢治はたぶんこれらのデザイン、とくに望楼をさして〈気取った〉と形容したのでしょう。」
(『賢治歩行詩考』,p.37)

この《本部》ポーチの瓔珞は、現存の「小岩井農場」詩篇にも、その草稿類にも、「本部の気取った建物」と言う以上の言及がありませんが、
【下書稿】の「パート9」相当部分は、中途で切れていますから、その先に書いてあったのかもしれません。ちなみに、【下書稿】は:

「もう本部です。
 私はあなた方をもう見ませんけれども」

で切れています。

. 〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕

「まことにこれらの天人たちの
 水素よりもっと透明な
 悲しみの叫びをいつかどこかで
 あなたは聞きはしませんでしたか。
 まっすぐに天を刺す氷の鎗の
 その叫びをあなたはきっと聞いたでせう。」

「水素よりもっと透明な」

とありますが、「青森挽歌」の冒頭に:

「こんなやみよののはらのなかをゆくときは
 客車のまどはみんな水族館の窓になる
   〔…〕
  きしやは銀河系の玲瓏レンズ
  巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)」

とあります。作者の乗っている列車の外が、「巨きな水素のリンゴのなか」で、それは「銀河系の玲瓏レンズ」の中にほかならないと言うのです。

その「水素」よりもっと透明な「悲しみの叫び」、すなわち:

「まっすぐに天を刺す氷の鎗の
 その叫びをあなたはきっと聞いたでせう。」

つまり、「天」は、個々のいのち・魂に対しては、非情な存在なのです。非情な因果と輪廻の法則にしたがって、天人たちは墜落して来るのです。

これは、『雁の童子』の冒頭で、7羽の雁の群れが撃ち落される場面に相当します:

「そのとき俄かに向ふから、黒い尖った弾丸が昇って、まっ先の雁の胸を射ました。

 雁は二、三べん揺らぎました。見る見るからだに火が燃え出し、世にも悲しく叫びながら、落ちて参ったのでございます。

 弾丸が又昇って次の雁の胸をつらぬきました。それでもどの雁も、遁げはいたしませんでした。
 却って泣き叫びながらも、落ちて来る雁に随ひました。

 第三の弾丸が昇り、
 第四の弾丸が又昇りました。
 六発の弾丸が六疋の雁を傷つけまして、一ばんしまひの小さな一疋丈けが、傷つかずに残ってゐたのでございます。燃え叫ぶ六疋は、悶えながら空を沈み、しまひの一疋は泣いて随ひ、それでも雁の正しい列は、決して乱れはいたしません。

 そのとき須利耶さまの愕ろきには、いつか雁がみな空を飛ぶ人の形に変って居りました。

 赤い焔に包まれて、歎き叫んで手足をもだえ、落ちて参る五人、それからしまひに只一人、完[まった]いものは可愛らしい天の子供でございました。

 そして須利耶さまは、たしかにその子供に見覚えがございました。〔…〕」

しかし、『雁の童子』では、撃ち落される者の心理描写はありません。代って、先頭の「雁の老人」が、一部始終を見ていた須利耶に、ただ一羽生き残った孫を引き取ってくれるよう「骨立った両手を合せ」「拝むやうにして、切なく叫」んだと書かれています。

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