ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.8.8


. インドラの網

「『お早う、于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。』

 三人一諸にこっちを向きました。その瓔珞のかゞやきと黒い厳めしい瞳。

 私は進みながらまた云ひました。
『お早う。于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。』

『お前は誰だい。』
 右はじの子供がまっすぐに瞬もなく私を見て訊ねました。

『私は于闐大寺を沙[すな]の中から掘り出した青木晃といふものです。』

『何しに来たんだい。』少しの顔色もうごかさずじっと私の瞳を見ながらその子はまたかう云ひました。

『あなたたちと一諸にお日さまをおがみたいと思ってです。』

『さうですか。もうぢきです。』三人は向ふを向きました。瓔珞は黄や橙や緑の針のやうなみぢかい光を射、羅[うすもの]は虹のやうにひるがへりました。」

「黒い厳[いか]めしい瞳」「まっすぐに瞬[またたき]もなく私を見て」「少しの顔色もうごかさずじっと私の瞳を見ながら」──という「天の子供ら」の眼つきと表情は、子どもらしくない威厳に満ち、「私」の心の中を見透かすようです。

大谷探検隊が持ち帰って、東京国立博物館にあるミーランの天使は、たしかに、意志の強そうな厳しい顔つきをしているのです:画像ファイル・ミーランの有翼天子像

宮澤賢治は、東京国博で、実際にこの天子像を見たのかもしれません。

「青木晃」は、1912-16年チベットのラサに滞在してチベット仏教を研究した浄土真宗本願寺派の僧侶・青木文教を念頭に置いた名前ではないかと思います。青木は、西域へ向かった大谷探検隊と同様に、西本願寺法主・大谷光瑞の命で派遣されています。

「青木晃」が、3人の「天の子供」とともに日の出を見る場所は、チベットのマナサロワール湖(阿耨達池)畔の設定と思われます☆:画像ファイル:マナサロワール湖 画像ファイル:マナサロワール湖

☆(注) 「天の子供」の“厳しい瞳の凝視”は、将来された有翼天使像の顔だちに基いているだけでなく、ミーランの天使たちが、壁画を破壊した西本願寺探検隊を警戒している設定かもしれません。実は、『インドラの網』は、最終推敲(“手入れC”)で、「ですます調」から「だ調」に変更されています。しかし、“手入れC”は、“3人の天の子供”と出会う場面の一部にしか及んでいないので──“手入れC”まで生かした最終形だと、「ですます調」と「だ調」が混在して不統一になる──、全集その他市販本では“手入れC”を捨てて“手入れB”までの中間形テキストで公刊しているのです。“手入れC”を取り入れた最終形では、「私は于闐大寺を砂の中から堀り出した青木晃といふものです。」は「私は前に于闐大寺であなたがたを壁画に書いた……といふものです。」に変更されています。賢治作品で言う「前に」は“前世に”の意味です。“ミーラン壁画破壊事件”から離れて、『雁の童子』のエンディングと相似する物語の筋になってきています。『新校本全集』第9巻「校異篇」,pp.132-140.

『マグノリアの木』でも、主人公は、山谷をさまよった末に、‘羅と瓔珞’を身につけた2人の童子に出会います:

. マグノリアの木

「すぐ向ふに一本の大きなほうの木がありました。その下に二人の子供が幹を間にして立ってゐるのでした。

(あゝさっきから歌ってゐたのはあの子供らだ。けれどもあれはどうもたゞの子供らではないぞ。)諒安はよくそっちを見ました。

 その子供らは羅をつけ瓔珞をかざり日光に光り、すべて断食のあけがたの夢のやうでした。ところがさっきの歌はその子供らでもないやうでした。それは一人の子供がさっきよりずうっと細い声でマグノリアの木の梢を見あげながら歌い出したからです。

『サンタ、マグノリア、
 枝にいっぱいひかるはなんぞ。』

 向ふ側の子が答へました。
『天に飛びたつ銀の鳩。』

 こちらの子が又うたひました。
『セント マグノリア
 枝にいっぱいひかるはなんぞ。』

『天からおりた天の鳩。』

 諒安はしづかに進んで行きました。
『マグノリアの木は寂静印です。こゝはどこですか。』

『私たちにはわかりません。』一人の子がつゝましく賢こさうな眼をあげながら答へました。」

「マグノリア」(Magnolia)は、モクレン属の学名で、モクレン、コブシ、タムシバ、ホオノキなどの種が属します:画像ファイル:ホオノキ 画像ファイル:コブシ、タムシバ、モクレン

「寂静印[じゃくじょういん]」とは、“ほかの宗教にはない仏教特有の静かな悟りの境地”を言うそうです。

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