ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.8.5


. 〔みあげた〕

「おれは今日は霜の羅を織る。鋼玉の瓔珞をつらねる。黄水晶の浄瓶を刻まう。ガラスの沓をやるぞ。」

「浄瓶」は、ふつう、銅などの金属製か陶磁器ですが、
ここで賢治は、「黄水晶の浄瓶」と言っています。

「黄水晶」(シトリン)は、黄色の色つき水晶:画像ファイル:シトリン

シトリンも、賢治の好きな宝石だったと思われます。『春と修羅(第1集)』では:

「雲がちぎれてまた夜があけて
 そらは黄水晶(シトリン)ひでりあめ」
(青い槍の葉)

「むしろこんな黄水晶(シトリン)の夕方に
 まつ青な稲の槍の間で
 ホルスタインの群(ぐん)を指導するとき」
(風景観察官)

と、夕暮れや夜明けの空の色を、「黄水晶(シトリン)」で表しています。

次は、後期(1928年)の口語詩ですが、東京方面への旅行から懐かしい故郷へ帰って来た感慨を詠っています:

「澱った光の澱の底
 夜ひるのあの騒音のなかから
 わたくしはいますきとほってうすらつめたく
 シトリンの天と浅黄の山と
 青々つづく稲の氈
 わが岩手県へ帰って来た」
(『装景手記』より)

「黄水晶」は賢治にとっては、澄みきった故郷の空の色なのです。

ところで、「天の子供」の持ち物として「浄瓶」は分かるとしても、金属製でも磁器でもなく、なぜ黄水晶なのでしょうか。

ここにも、賢治の‘博覧強記’がさりげなく顔を出していると思います。

ミーランの場所ですが、
賢治作品によく登場する天山山脈ではなく、砂漠の南側の崑崙山脈の麓にあります:西域地図

崑崙山脈といえば…、孫悟空の冒険、あの『西遊記』の舞台です。

『西遊記』で、三蔵法師一行が崑崙山脈の麓を旅しているとき、金角、銀角という妖怪が現れて、孫悟空以外全員が捕らえられてしまいます。金角、銀角は、孫悟空も捕らえようとして持ち出す武器が、“紅葫蘆(べにひさご)”と“琥珀の浄瓶”◇です。

◇(注) 『西遊記』のテクストによっては、“羊脂玉浄瓶”となっています。琥珀は地中で石化した樹脂で、透明な黄色〜飴色。羊脂玉は翡翠軟玉の高級品で、主に白色、西域のホータンが産地:画像ファイル:琥珀、羊脂玉

どちらも、相手の名を呼んで相手が返事をすると、相手は中に吸い込まれて溶かされてしまいます。

孫悟空と知恵比べのあげく、金角と銀角のほうが逆に、この2つの容器の中に吸い込まれてしまうのですが、じつは、この2妖怪は、天上の太上老君(老子)に仕えている童子で、三蔵法師の心構えを試すために妖怪に姿を変えて派遣されていたのだ──という種明かしで一件落着するわけです。

賢治の「黄水晶の浄瓶」は、『西遊記』の“琥珀の浄瓶”をもじっているのではないでしょうか。

‘天の童子たち’の持ち物という点でも、つながります。

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