ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.7.31


しかし、
この【B説】に対しては、さきほど【A説】に対して述べたのと、ちょうど逆の批判が言えてしまうと思います。

最初から、歩行記録も無く、そもそも詩作が行なわれていないのならば、その区間は跳んで、パート番号は「パート7」から「パート8」に続ければいいじゃないか‥と◇

◇(注) 「パート5・6」の削除の場合には、【清書稿】までの下書きが残っているので、もし「パート7」の番号をずらしてしまったら、刊本と、残っている下書きとの対応がおかしくなって不便だ、ということがあったかもしれません。【A説】が想定する「パート8」削除の場合にも、同じことが言えます。しかし、最初から下書きのない区間ならば、その区間に番号を割り振らなくても、不都合はないことになります。

なぜ“歩行詩作”再開後を「パート9」にしなければならないのか、結局、理由が分からないのです。。。

しかし、【A説】【B説】とも認めていることは、作者は、一定の時間の経過があることを読者に示すために、パートの番号を7から9に飛ばしているということではないでしょうか?

考えてみると‥
おそらく作者は、
下書き段階の構想では、この詩篇の最初から最後まで、一貫して、“意識の流れ”、《心象》の継起と変遷のスケッチを、間断なく連続して示す計画だったと思われるのです。

【清書後手入れ稿】の段階で「パート5・6」を外す前には、
たしかに、「パート1」から「パート7」まで、──【清書稿】の表示で言えば、「第1綴」から「第7綴」まで──間断のないスケッチが続いていたと思われます。

残っている各パートの草稿や断片を繋ぎ合わせてみると、そのように考えられます。

おそらく【A説】の論者は、「第8綴」も、はじめはあったと考えているのでしょう。

しかし、他の詩篇も選び集めて、《印刷用原稿》をまとめる段階になって、

詩集全体の規模から見ると、あまりにも長大な「小岩井農場」は、無駄なところを削って整理縮小することにしたのだと思います。こうして、「第5綴」「第6綴」「第8綴」の棄却が決まりました。しかし、そのさい、欠番になった「綴」の番号をずらさなかったのは、そこに時間の経過があること、そこで“意識の流れ”が跳んでいることを示すためだったのではないでしょうか。

【B説】に沿って言えば、
作者が最初に構想した時に、“歩行詩作”を中断した時間があることを読者に示すために、「7」と「9」の間で「綴」番号を飛ばすことにしたと考えられます。

最初から、……「第4綴」「第5綴」「第6綴」「第7綴」「第9綴」という章立てになっていた。

そして、「第5綴」「第6綴」を削除した際、やはり、この部分の時間経過を示すために、この2つの番号を残したのだと考えられます。




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