ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.7.18


しかし、トウモロコシを燕麦に変えたおかげで、燕麦の白い種子が真っ黒な“黒ボク”に撒かれる状況を(【下書稿】ですが)描くことができました。このモチーフは、「パート9」での重要なモチーフのひとつ:

「腐植質から麦が生え」
(33行目)

に、繋がります。

「威銃」は、エンバク播種時には、本当は無かったのですが、‘曇り空の下で銃を構える射手’は、モチーフとして重要なので、残しました。

「厩肥車」も、老農夫との対話中に、見えない播種作業を想像させる点景として残しました。

そして、‘往復する詩作歩行’の構想に必要な《降雨》を導入したので、ロビン少女の昼寝の状況までが、雨の降りしきる中でのことになってしまいましたが、

しかし、これによって、天沢氏も指摘される・
《雨》による人と人との魂の明滅交感──「まことのことば」──を重要なモチーフとする賢治の作品世界が、形づくられたのです☆:⇒写真 (タ)

☆(注) 97-101行目の間に、「爺さんはもう向ふへ行き」、もう戻って来ませんが、このあと、場面は徐々に、5月7日メモから5月21日メモへ移って行きます。

. 春と修羅・初版本

102爺さんの行つた方から
103わかい農夫がやつてくる
104かほが赤くて新鮮にふとり
105セシルローズ型の圓い肩をかヾめ
106燐酸のあき袋をあつめてくる
107二つはちやんと肩に着てゐる
108 (降つてげだごとなさ)
109 (なあにすぐ霽れらんす)

「セシルローズ」(Cecil John Rhodes, 1853-1902)は、イギリス・ケープ植民地(現・南アフリカ)の実業家・政治家。坑夫から始めて、ダイヤモンド鉱山と産金業を独占したうえ、南アフリカの鉄道・電信・新聞業を支配下に入れ、ケープ植民地首相となる(1890年)。
さらに現在のジンバブエ、ザンビアの地を征服してローデシア植民地として支配し、“アフリカのナポレオン”と呼ばれた。49歳で死去、生涯を独身で通しました。

この段階の賢治は、植民地主義に疑問を持っていなかったと思われます。生涯独身ということで、セシル・ローズには親しみを持っていたのではないでしょうか。

写真を見ると、たしかに太っていて肩が丸いですね:画像ファイル:セシル・ローズ
やってきた若い農夫は、過燐酸石灰の空き袋を肩に着て、雨を避けています。太っていますが、「なあにすぐ晴れらんす」★と、気さくで陽気な人物です。

★(注) 雨について会話していますし、「燐酸のあき袋を〔…〕二つはちやんと肩に着てゐる」とありますから、この若い農夫に会ったのも、過燐酸石灰が使われた日、つまり7日(曇午後雨)だと思われます。

110火をたいてゐる
111赤い焔もちらちらみえる
112農夫も戻るしわたくしもついて行かう
113これらのからまつの小さな芽をあつめ
114わたくしの童話をかざりたい

若い農夫は、賢治と気軽に言葉を交わしたあと、焚き火のほうへ戻ります。

雨の中で

111赤い焔もちらちらみえる

という秀逸な描写がなされています。

「これらのからまつの小さな芽をあつめ/わたくしの童話をかざりたい」という独白からも、作者の気持ちが和んできたのが、分かります。
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