ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
133ページ/184ページ


3.7.17


そこで、農場に保存されている当時の作業日誌の記載から、《長者館2号耕地》の作業を拾って、宮澤賢治の「小岩井農場」の記述と比較してみたのが、下の表です。

農場の『本部日誌』には、毎日の天候、気温と、その日に耕耘部、樹林部等各部で行なわれた作業などが記録されています。例えば、

「養鶏 雛11羽孵化(現数累計114羽) 産卵6(累計49)」

といった記載もあります。
圃場作業は、畑ごとの作業が記載されています。



これを見ますと、

賢治の「小岩井農場」の作品日付1921年5月21日、《長者館2号耕地》では、トウモロコシの播種作業と、そのための「整地」「画線」「施肥」が行なわれていたことが分かります。作品「小岩井農場」に書かれているエンバクの播種ではないのです。したがって、肥料の種類も違います。。
しかも、天候は「曇」となっています。21日には、雨は降らなかったのです!‥

そこで、『本部日誌』の5月7日のほうを見ますと、
《長者館2号耕地》では、「整地」「調肥」とエンバクの播種が行われています。「調肥」は「堆肥過燐酸石灰混合」と記されていて、賢治のスケッチと一致します。
トウモロコシの播種では、厩肥を撒布しましたが、エンバクの播種では、堆肥に燐肥を加えて施用していたのです。これは、岡澤氏によると、燐肥がエンバクの開花結実を促すからだそうです。

そして、5月7日の天候は「曇午後雨」です。これも、賢治の「パート7」のスケッチと同じです。

しかし、「威銃」──ハンターによる鳥よけは、5月21日のほうにあります。「威銃」は、トウモロコシ播種時に行われていました。おそらく、トウモロコシはタネが大きいので、土をかけた後でも、鳥が来て啄ばんでしまうのでしょう。

また、2台の「厩肥車」が置いてあったのも21日です。厩肥は、トウモロコシ播種の前に撒布されているからです。

そうすると、「パート7」の記述は、5月7日の状況と、5月21日の状況を、組み合わせて書いていることが分かります。

堆肥と過燐酸石灰を混合して施用し、エンバクの種子を播いているのは、7日の作業です。
雨が降っているのも、7日の状況です。

しかし、ハンターが「威銃」をしているのは、21日のトウモロコシ播種の実況なのです。

なお、「画線」も、21日のトウモロコシ播種の下ごしらえですが、これは、【下書稿】には書かれていて、《初版本》では削られていました。

そうすると:

実際には、曇ってはいたけれども雨は降らなかった5月21日の賢治のスケッチ・メモには、

「厩肥車」による厩肥散布のあと、
ハンターの「威銃」に守られながらトウモロコシの播種作業が行われ、
2人の "Miss Robin"少女と「みんな」(幾人かの作業員?)が昼寝をしたことが、書いてあったはずです。

賢治はそこに、5月7日のメモから、堆肥過燐酸石灰混合肥の撒布、燕麦の播種(トウモロコシを燕麦に‘すり替え’)、降雨の状況、…などを書き入れて、場面を創作したのです。

なぜ、そんなツギハギをしたかといえば、理由があります。

厩肥を、堆肥と過燐酸石灰にしたのは、過燐酸石灰濃度に関する老農夫との対話、また、花巻と小岩井農場の過燐酸石灰濃度の違いを知った感動を、出したかったからです。

したがって、老農夫に会ったのは、実際に雨の中でのエンバクの播種作業──「蒼鉛の労働」が行なわれた7日のことです。

堆肥・過燐酸石灰・混合肥を出した以上、
肥料に連動して、作物もエンバクに変えなければなりません。農学徒賢治としては、作物と肥料の組み合わせをごまかすわけにはいかなかったでしょう‥

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ