ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
127ページ/184ページ


3.7.11


しかし、作者には、「農夫」はたえまなく動揺して「ぐらぐら」と揺れているように見えます。それは、作者の動揺する気持ちの反映かもしれませんし、遠い保阪の心のゆれが感じられるのかもしれません:

. 春と修羅・初版本「パート7」

22農夫は富士見の飛脚のやうに
23笠をかしげて立つて待ち
24白い手甲さへはめてゐる、もう二十米だから
25しばらくあるきださないでくれ
26じぶんだけせつかく待つてゐても
27用がなくてはこまるとおもつて
28あんなにぐらぐらゆれるのだ
29 (青い草穗は去年のだ)
30あんなにぐらぐらゆれるのだ

 


2回繰り返される「あんなにぐらぐらゆれるのだ」の間に、「青い草穗は去年のだ」という微かな声が挟まれます。それは、作者の外から、空耳のように聞こえてくる声です。

去年の草が、雪に埋もれた冬の間も枯れずに、緑色を残しているのです。

やはり、1921年の賢治と嘉内の間には、何かあったのかもしれません‥

ところで、作者は、目の前の現実の農夫も、「あんなにぐらぐらゆれる」のを見ていると、不安になり、あと20メートルまで近づいたところで、歩きながら声をかけます:

. 春と修羅・初版本

31さわやかだし顔も見えるから
32ここからはなしかけていヽ
33シヤツポをとれ(黒い羅沙もぬれ)
34このひとはもう五十ぐらゐだ
35(ちよつとお訊ぎぎ申しあんす
36 盛岡行ぎ汽車なん時だべす)

賢治は、「農夫」が気後れしないように、雨で濡れた帽子を取って、方言で丁寧に訊ねます。

37(三時だたべが)
38すゐぶん悲しい顔のひとだ
39博物館の能面にも出てゐるし
40どこかに鷹のきもちもある
41うしろのつめたく白い空では
42ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る
43雨をおとすその雲母摺(きらず)りの雲の下
44はたけに置かれた二臺のくるま
45このひとはもう行かうとする

「農夫」は簡単に答えただけで、行ってしまおうとします。‘身分’の違いそうな・よその人と、あまり話したくないのかもしれません。
深く刻まれた皺が悲しそうに見える・その表情を変えようとしません。

鷹のような猛禽の深く彫れた眼窩は、よく見ると悲しそうに見えます(↓画像参照)。能面の般若の表情にも見られる深い悲しさです。

「雲母摺(きらずり)」は、人物画の背景に、雲母や貝殻の粉をまぶす浮世絵の技法で、有名なのは、東洲斎写楽の黒雲母摺の背景です:画像ファイル:タカ・能面・東洲斎写楽

作者の言う「雲母摺りの雲」は、↑この写楽の絵の背景のように、黒っぽく立ち込めた雨雲だと思います。
しかし、賢治はここでは「黒」という語を避けて、「つめたく白い空」と書いています★

★(注) たしかに、岡澤氏が指摘されるように、“松林での折り返し”を境として、「パート七」以後は、「黒」が減って「白」が増えるという色彩語の顕著な変化が見られます。それは、風景が明るくなったのではなく(晴天下の往路より、雨の帰路のほうが暗いはずです)、作者が「白」をより多く使って描くようになったということです。『賢治歩行詩考』,pp.110-116.

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ