ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
122ページ/184ページ


3.7.6


ですから、作者は決して、なんとなく寄り道でもするようなつもりで湿地のほうへ歩いているのではなく、重い課題を意識して…、あるいは‘勝利’のチャンスをつかんだ気持ちで、向かっていることが分かるのです。

また、ネー元帥の騎兵がそうであったように、頂きをきわめたとたんに、とんでもない‘陥穽’に足を取られてしまうかもしれないのです。
そんな不安が見え隠れしています‥



   

しかし、

15雲は白いし農夫はわたしをまつてゐる

つまり、見たところ明るい風景が作者を招いているのです。

そこでちょっと、こちらで現場再現イベントの写真を見ていただきたいのですが⇒:ワーテルロー
広い畑と木立ち、なだらかなスロープと谷間に富んだ地形──ワーテルローの景観は、小岩井農場に似ていないでしょうか?

ワーテルローは「湿地」ではないのですが…、賢治は、“ワーテルロー”(あるいは“ウォータールー”)という地名★から、「蒲の生えた沼地」のような場所を想像していたのかもしれません。

★(注) "Waterloo" という地名は、ゲルマン語(ドイツ人などの祖先ゲルマン人の言語)の watar (水) と、オランダ語の los (草原) に由来します。

さて、《初版本》テキストの続きを見ますと:

17トツパースの雨の高みから
18けらを着た女の子がふたりくる
19シベリヤ風に赤いきれをかぶり
20まつすぐにいそでやつてくる
21(Miss Robin)働きにきてゐるのだ

「トッパース」は、トパーズ(黄玉:おうぎょく)。フッ素やアルミニウムを含む珪酸塩鉱物 Al2SiO4(F,OH)2 で、黄色〜褐色、ピンク、青色と、さまざまな色のものがありますが、いずれにしろ色は薄くて透き通っています:画像ファイル・トパーズ

「トツパースの雨の高み」は、トパーズのように色薄く透き通った雨つぶが、空から降りて来るさま◇を表しています。

◇(注) 1-2行目の「とびいろのはたけが〔…〕すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる」、116行目の「みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる」も、同様の透明な雨のイメージでしょう。天沢退二郎「小岩井から……小岩井へ……」,in:同編『「春と修羅」研究U』,p.66.参照。

「けら」は、雨合羽ないしコートの役目をする作業衣。西日本では「みの」といいます。ふつうはワラを編んで作りますが、東北では、防寒のために、犬の毛皮や“まだかわ”で作る地方もありました:画像ファイル・けら

この女の子たちの着ている「けら」は、

95菩提樹(まだ)皮の厚いけらをかぶつて
96さつきの娘たちがねむつてゐる

とありますから、“まだかわ”◆製です。

◆(注) まだかわ:シナノキの樹皮(内皮)の繊維を織った荒布。シナノキ:画像ファイル・シナノキ 画像ファイル・シナ布

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ