ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.7.4


午前11時半頃(一説によれば午後1時半頃)ウーグモンへのフランス軍の攻撃によって戦闘が開始されました。ナポレオンは、そのあと、矢継ぎ早にパプロット、ラ・エー・サントにも攻撃をしかけ、フランス軍は総攻勢によって緒戦を圧倒します。

「パプロットは占領され、ラ・エー・サントは奪取された。」

そして午後4時頃、モン・サン・ジャン高地に拠っていた英蘭軍が、退却を始めたように、フランス側には見えました(当時はまだ飛行機などありませんから、ワーテルローのような平原では、小さな望遠鏡[まだ拡大率は低い]で眺める以外に、敵の動向を知る方法は、ありませんでした!)

「ウェリントンが退却し出した時、ナポレオンは踊り上がった。彼は突然、モン・サン・ジャンの高地が引き払われ、イギリス軍の正面が姿を消したのを認めた。
〔実は、一時的に姿を隠した目くらましだったのだが〕
皇帝
〔ナポレオン〕は、半ば鐙の上に立ち上がった。
勝利の輝きが、その目に上った。」

こうして、ナポレオンは、胸甲騎兵隊にモン・サン・ジャン高地の奪取を命じます。

「ネーは剣を抜いて先頭に立った。偉大なる騎兵隊は動き出した。

 恐るべき光景が現われた。
 それらの騎兵は、剣を高く上げ、軍旗を風にひるがえし、ラッパを吹き鳴らし、師団ごとに縦列を作り、ただ一人のごとく同一な運動の下に整然として、城壁をつき破る青銅の撞角のごとく、まっしぐらに、ラ・ベル・アリアンスの丘
〔ナポレオンの本営〕を駆けおり、

既に幾多の兵士の倒れている恐るべき窪地に飛び込み、戦雲のうちに姿を消したが、再びその影から出て、谷間の向こうに現われ、常に密集して、頭上に破裂する霰弾(さんだん)の雲をついて、モン・サン・ジャン高地の恐ろしい泥濘の急坂を駆け上って行った。」

「胸甲騎兵」は、兜と鋼鉄の胸甲をつけ、ピストルと長剣を携えたフランス騎兵の精鋭で、数々の戦闘を経た連戦の強者達でした:画像ファイル:胸甲騎兵

この「窪地に飛び込み、〔…〕再びその影から出て、谷間の向こうに現われ、〔…〕モン・サン・ジャン高地☆の恐ろしい泥濘の急坂を駆け上って行った」というクダリが、

「小岩井農場」で宮澤が書いている

11 どこかのがまの生えた沼地を
12 ネー将軍麾下の騎兵の馬が
13 泥に一尺ぐらゐ踏みこんで
14 すぱすぱ渉つて進軍もした)

という部分の原文だと思います。


 


☆(注) モン・サン・ジャン(Mont Saint Jean)は地名ですが、フランス語で「聖ヨハネの山」という意味になります。つまり、「パート5/6」で見た晩年の文語詩〔青柳教諭を送る〕と微妙に符合します。『真空溶媒』で、泥炭(ダルゲ Darg)になった軍人(保阪?)をテナルディエになぞらえ、自身は、ナポレオンの配下のそのまた騎兵の馬として、“聖ヨハネ”が昇ってゆくスロープを後から駆け上がろうとする構図は、石灰肥料の導入による東北農業の救済という恩師の課題を、なおどこかで意識していた1922-23年当時の賢治を暗に示していないでしょうか。

しかし、『レ・ミゼラブル』では、このすぐ後で、ネー元帥の騎兵隊に破局が訪れます。
そこまで読み進めることにします:

「遠くからながめると、あたかも高地の頂きの方へ、巨大なる二個の鋼鉄の毒蛇が、這い上がってゆくかのようだった。」

濛々と戦場に立ち込める硝煙のあちらこちらの切れ目から、胸甲騎兵隊が、敵を蹴散らして突進してゆく姿が、かいま見られた。

これを迎え討つイギリス軍は、高地の頂きの背後に砲座を並べて隠し、13個の歩兵方陣を組んで、襲って来た騎兵と馬を小銃で狙い撃ちにするべく、息を潜めて待ち受けていた。

「忽然として、長い腕に剣を高くふりかざした一列が、高地の頂きに現われ、兜とラッパと軍旗と、それから灰色の髯をはやした三千の頭が、『皇帝万歳!』と叫びながら現われた。

すべてそれらの騎兵は、今や高地の上に出現し、あたかも地震の襲いきたったかのようだった」

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