ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.6.32


さて、このへんで「小岩井農場」に戻りたいと思います:

. 「小岩井農場」【清書稿】
(一本桜の写真の少し上です)
「それに向ふの松林にまだ狼森ではないだらうが
 ずゐぶん大きなみちがある。
 あれさへ行ったら間違ひない。
 行って見やう。しかしどうだ、
 そこの所に堰がある
 やなぎがぽしやぽしや生いてゐる
 そのせきの近く一二間だけ、
 きちんとみちができてゐる
 すこし変だ。どういふ訳だ。どうせこいつも農場の
 ほんの気紛れ仕事なのだ。
 一つはまあ目標にもなる。
 とにかく渡れ、あの坂を登れ。」

作者は、道を探しています。

. 小岩井農場略図(2)
↑こちらの1枚目の地図を見ていただきたいのですが、《狼ノ森》の東肩で、網張街道と、柳沢方面への道とが岐れているので、このへんは道に迷いやすいのです。

↑2枚目「狼ノ森付近 拡大図」を見てほしいのですが、“長者館耕地”わきの谷に、作者が前に来た時には無かった「堰」が造られてありました(⇒写真 (ヲ))。谷の沢水沿いに、ヤナギの灌木も「ぽしやぽしや」生えています。

地図に“折返し地点”と書いてあるあたりは、《狼ノ森》ほど大きくはありませんが、ゆるやかな丘で、そこは松林なっています。

「ずゐぶん大きなみちがある。」

と言っていますが、角度の関係で、松林を通り抜けてゆく道が、よく見えるのです。
作者の位置は、「堰」と《育牛部》の間の黒い実線──「堰」に近いほうです。

「すこし変だ。どういふ訳だ。どうせこいつも農場の
 ほんの気紛れ仕事なのだ。 」

と言っていますが、これは作者の勝手な感想で、農場としては、必要があるから「堰」を造ったはずです。おそらく、左のほうの《狼ノ森》南麓の原野を排水して耕地を造成していたのではないでしょうか。

沢水は、右のほうへ流れて、地図の右外で、《逢沢》に流れ込むはずです。

ともかく、新しく「堰」を造る工事をしたので、その周辺の道だけ、きれいに整備されているわけです:

「そのせきの近く一二間だけ、
 きちんとみちができてゐる」

賢治は、この・「堰」を渡って「松林」の丘を昇ってゆく道が、柳沢へ抜ける道だと、当たりをつけて、歩いて行きます。

堰には水が溜まっていて、《農場入口》の沢水と同じように、暗い光を投げかけていたはずですが、ここでは言及がありません。

「堰」を渡った先は、細い松の若木が密生した丘でした:

「かなりの松の密林だ。
 傾斜もゆるいしほんの短い坂だけれども
 仲々登るのは楽ぢゃない。
 一昨夜からよく眠らないから
 やっぱり疲れてゐるのだ。
【[たしかに足がつかれるやうだ]
 疲れのために私は一つの桶を感ずる
 この聯想は一体どうだ、
 けれどもたしかにこの桶は
 まだ松やにの匂もし
 新しくてぼくぼくした小さな桶だ。】」

「松やにの匂」は、賢治の好きなテレビン油(ピネン)の芳香ですが、ここでは、密生した小松の「密林」に囲まれて、狭い桶の中のような閉ざされた世界に感じられます。
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