ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.6.30


前nの下書稿を推敲した後のテキストが↓次です。

第4連が加わり、第3連までの内容にも、かなり異同があります:

「 青柳教諭を送る

 秋雨にしとゞにぬれて
 きよらかに頬瘠せ青み
 おもはざる軍[いくさ]に行かん
 師はひとりおくれ来ませり

 羊さへけふは群れゐず
 玉蜀黍[きみ]つけし車も来ねば
 このみちの一すじ遠く
 雨はたゞ草をあらへり

 ともよ昨日(きそ)かの秘め沼に、
 石撃ちしなれはつみびと、 わびませる師にさきだちて
 そのわらひいとなめげなり

 南なる雨のけぶりに
 うす赤きシレージの塔
 かすかにもうかび出づるは
 この原もはやなかばなれ」
【下書稿(1)手入れD】

「おもはざる軍に行かん」が第1連に移ってきて、軍事に対して批判的な気持ちを持つ教諭の心情が前面に打ち出されたと思います。
また、そうした平和主義的な──当時の一般的な観念で言えば‘文弱な’──心情に対する少年賢治のひそかな共感も読み取れます。

しかし、全体に「青柳教諭」は、“殉教者”の面影を帯びつつも、「ひとりおくれ来ませり」、また、生徒に嘲笑われて、じっと堪える面持ちに──消極的に描かれています。

“兵役拒否”というような行動的な、あるいは戦闘的な性格は、この「青柳教諭」には感じられません。

そこで、

「このみちの一すじ遠く
 雨はたゞ草をあらへり」

という、野原にひとすじ伸びてゆく道も、ただ、雨の中の苦しい道程として描かれ、

「この原もはやなかばなれ」

──この苦しい道も、もうしばらくの辛抱だと‥、歩いている教諭と自分を励ますようにして終っています。

ともかく、教諭に対する畏敬というよりも、いたわりの気持ちが強く感じられます。

第3連の:

「ともよ昨日(きそ)かの秘め沼に、
 石撃ちしなれはつみびと、」

は、中学生当時の短歌に出ていた《御釜湖》での“恐怖体験”に言及しています。水面に石を投げたのは、上級生であったようです。
その上級生たちが、今は「青柳教諭」を嘲笑っていることに対して、作者は憤っています。

「わびませる師にさきだちて
 そのわらひいとなめげなり」

「わびませる」は、“悲しんでいらっしゃる”という意味だと思います。つまり「青柳教諭」は、望まない兵役に行くことに対しても、この盛岡の地を離れなければならないことに対しても、悲しんでいるのです。

小沢俊郎氏は、この「わびませる」を、
石を投げた生徒に代って、青柳教諭が湖に謝罪した、という意味に解釈しておられます:

「岩手山上の火口湖でタブーを犯して石を投げた友の軽率さを想起する。不遜の学友に代って湖神に詫びた先生の敬虔さを慕わしく思う。」
(『薄明穹を行く』pp.241-242)

しかし、文語動詞「わぶ」には@謝罪する、以外に、A悲しむという意味があります。

ギトンは、この【下書稿(1)手入れD】では、敬虔な聖者に対する畏敬よりも、
むしろ、兵役、軍隊を厭わしく感ずる“文学青年”に対して、中学生の作者が抱いた同情の気持ちが、前面に出ていると思うのです。

ですから、‘悲しそうに歩いていらっしゃる先生よりも先に立って歩き、先生を嘲笑うのは、たいへん無礼なことである’と解したほうが、ギトンには自然に感じられます。

「なめげなり」は、推敲過程で、「ぶらいなり」と交替していますから、蔑ろにして失礼だ、ばかにしている、無頼だ、無法だ、という意味だと思います。

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