ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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ゴヤ「荒野の若き洗礼者ヨハネ」

3.6.29


さて、晩年に推敲を重ねた文語詩の最初の草稿を見たいと思います:

「  青柳教諭を送る

 秋雨にしとゞうちぬれ
 きよらかに頬瘠せ青み
 師はいましこの草原の
 ただひとりおく[れ]来ませり

 羊さへけふは[群]れゐず
 玉蜀黍[きみ]つけし車も来ねば
 このみちの一すじ遠く
 ひたすらに雨は草うつ

 友よさは師をな呼び給ひそ
 愛しませるかの女[ひと]を捨て
 おもは[ざ]る軍[いくさ]に行かん
 師のきみの頬のうれ[ふる]を」
★(【下書稿(1)】)

★(注) 「友よさは師をな呼び給ひそ」:友よ、そのように先生を呼びなさるな。「愛しませる」:愛していらっしゃる。「うれふる」:憂う。なお、第3連4行目にある「師のきみ」という呼称は、恋人に近い私淑した思いを感じさせます。また、この文語詩全体をおおう感傷的な悲しみ、せつなさも、“初恋の追憶”にふさわしいように思います。

この草稿では、作者の歩いているグループの後ろから「青柳教諭」が、一人だけ遅れて来る位置関係になっています。

そのためか、先生を畏敬する感じは薄れて、むしろ、無礼な上級生になじられている教諭に、同情する気持ちが、前面に出ています。

「愛しませるかの女を捨て」

ですが、じっさいに「青柳教諭」が盛岡に恋人を持っていたのかどうかは、分かりません。
むしろ、この部分が、推敲過程でまもなく消されてしまうことを考えると、作者のフィクションのようにも思われます。
あるいは‥、賢治は、「青柳教諭」に恋愛感情を抱いている自分を「捨て」て去ってしまうのか‥と言いたいのかもしれません。

その次の行:

「おもは[ざ]る軍に行かん」

の「思はざる」は、推敲過程で「ねがはざる」に変えたり、また戻したりしていますから、意味は、“望まない兵役に”という意味です◇

◇(注) “予想外の”という意味ではないでしょう。兵役の徴集は、外語学校を卒業して徴兵検査を受けた時から決まっていたはずで、いまさら予想外などということはないはずです。

「軍[いくさ]」は、ここでは戦争ではなく軍隊を意味します。ただ、当時(1910年)は、日清・日露戦争から何年もたっていませんし、“三国干渉”などもあり、日本はいつまた戦争に巻き込まれるかもしれないと、中学生は思っていたことでしょう★。単に兵役を勤めるためとは言っても、軍隊に行くということは、いつ戦争になって出征するかもしれないことだと、当時の人は思っていたのです。

★(注) 当時、盛岡中学校でも、“発火演習”という実戦さながらの軍事教練が、ひんぱんに実施されていました。

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