ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.2.4


. 春と修羅・初版本

42 (あいまいな思惟の螢光
43  きつといつでもかうなのだ)
44もう馬車がうごいてゐる
45 (これがじつにいヽことだ
46  どうしやうか考へてゐるひまに
47  それが過ぎて滅(な)くなるといふこと)
48ひらつとわたくしを通り越す
49みちはまつ黒の腐植土で
50雨(あま)あがりだし彈力もある
51馬はピンと耳を立て
52その端(はじ)は向ふの青い光に尖り
53いかにもきさくに馳けて行く
  〔…〕
79馬車はずんずん遠くなる
80大きくゆれるしはねあがる
81紳士もかろくはねあがる
82このひとはもうよほど世間をわたり
83いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
84すましてこしかけてゐるひとなのだ
85そしてずんすん遠くなる

“オリーブの紳士”の動きを見ておきたいので、少し先のほうまで飛んでみました:⇒写真 (d)

賢治が、乗せてくれと言おうかどうしようか迷っているあいだに、馬車は発車して、ひらりと賢治を追い越して行ってしまいました。

雨上がりの湿った道なので、馬も走りやすいのでしょう。「まつ黒の腐植土で〔…〕彈力もある」と言っています。
軽やかに駆けていきます。
馬のピンと立った耳が、背景の青空や景色に突き刺さるようだと言っています。

馬車が遠くへ走り去って、小さくなってしまってから、賢治の思考は、ようやく、馬車に乗った“オリーブの紳士”は、自分とはステータスの違う“特権階級”の端くれだということに思い当たります。

「青ぐろいふちのやうなとこへ
 すましてこしかけてゐる」

は、ずいぶん強烈な言い方ですが、
当時、「学士」は、一握りの特権的な人々だったのです。

現在では、大学卒(学士)など、いくらでもいますが、当時、大学は次の18校しかありませんでした(1922.3.31時点、外地除く):

@帝国大学(東大、京大、東北大、九大、北大)
A官立大学(東京商科[一橋]、新潟医科、岡山医科)
B公立大学(大阪医科、愛知医科)
C私立大学(東京6大学、慈恵会、同志社)

しかも、1919年の大学令制定より前は、@の5校だけが“大学”だったのです!
つまり、1918年に高等教育を終えた宮澤賢治との関係で言うと、“大学”“学士”とは帝国大学のこと‥
もちろん、賢治の出た盛岡高等農林学校も高等専門学校ですから、賢治は学士ではありません。

先へ行き過ぎましたので、31行目に戻って、作者の心象を見ておきます:

30これから五里もあるくのだし
31くらかけ山の下あたりで
32ゆつくり時間もほしいのだ
33あすこなら空氣もひどく明瞭で
34樹でも艸でもみんな幻燈だ
35もちろんおきなぐさも咲いてゐるし
36野はらは黒ぶだう酒のコツプもならべて
37わたくしを款待するだらう

「くらかけ山の下あたり」は、《春子谷地》付近と思われます:地図:春子谷地 地図:春子谷地、柳沢 画像ファイル:春子谷地湿原
《春子谷地湿原》は、小岩井農場を縦断した先の・岩手山の中腹にある高層湿原です。

「黒ぶだう酒のコツプ」は、オキナグサの赤紫色の花のことです。上から見ると黒っぽく見えます:画像ファイル・オキナグサ

高山植物と自然木の野原、樹も草もスライド写真のような処で、ゆっくりしたいわけです。

38そこでゆつくりとどまるために
39本部まででも乘つた方がいい
40今日ならわたくしだつて
41馬車に乘れないわけではない
42 (あいまいな思惟の螢光
43  きつといつでもかうなのだ)
44もう馬車がうごいてゐる
45 (これがじつにいヽことだ
46  どうしやうか考へてゐるひまに
47  それが過ぎて滅(な)くなるといふこと)

《春子谷地》で、ゆっくりしたいから、馬車に乗せてほしいのはやまやまなのですが、馬車は無視して出発する勢いなので、声をかけようか、どうしようか、迷っています。

迷っている間に、
馬車は出発して、あっというまに追い越して行ってしまいます。
怪しい男にじろじろ見られたので、気味悪がってスピードを出したのかもしれません。
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