ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.1.7


. 春と修羅・初版本

42(やあ こんにちは)
43(いや いヽおてんきですな)
44(どちらへ ごさんぽですか
45  なるほど ふんふん ときにさくじつ
46  ゾンネンタールが没(な)くなつたさうですが
47  おききでしたか)
48 (いヽえ ちつとも
49  ゾンネンタールと はてな)
50 (りんごが中(あた)つたのださうです)
51 (りんご、ああ、なるほど
52  それはあすこにみえるりんごでせう)

最初の括弧書きは紋切り的な挨拶。

そのあと、活字を一段下げて、《赤鼻紳士》が内密めかした噂話を始めます。一段下げているのは、声を落として囁いている意味だと思います。

誰かが亡くなったという《赤鼻紳士》の厳粛そうな話題に対して、
作者は、まるで冗談のような・とぼけた受け答えをしています。

「ゾンネンタール」という・聞いたことのない名前がいきなり出てきたので、キョトンとしています。
それから、“リンゴにあたって死んだ”などというわけのわからない話になると、
かえって「ああ、なるほど」などと納得しています。

なんとも、とんちんかんなやりとりですが、これも夢の特徴でしょう。

「ゾンネンタール」★については、ドイツ風の名前なので(ゾンネ[Sonne:太陽]+タール[Tal:谷間])、似た名前のドイツの有名人を持ってきて、誰やらのことだという説が幾つかあります。
しかし、どの説も、こじつけにしか思えません。作者は、ドイツの誰かを指して言っているわけではないでしょう。

★(注) "Sonnental Wikipedia"で検索すると、地名2ヶ所(@スイス、ザンクト・ガレン州の村。Aドイツ、下ザクセン州、ヘッシッシュ・オルデンドルフ市[笛吹き伝説のハーメルンの隣市]の区)がヒットします。ほかに"Sonnental"でヒットするのは、チューリッヒのホテルと、ビデオゲームのキャラクターで、人名は該当がないようです。

『冬のスケッチ』第7葉に

「しろびかりが室をこめるころ
 澱粉ぬりのまどのそとで
 しきりにせのびをするものがある
 しきりにとびあがるものがある
 きっとゾンネンタールだぞ。」
(7葉,§2)

とありましたが、この「ゾンネンタール」は、窓の外から射す太陽、または陽の光と思われます。「真空溶媒」の「ゾンネンタール」とは関係なさそうです。

けっきょく、「ゾンネンタール」は、架空の噂話の架空の人物だと思えばよいのだと思います。
詮索しても、深い意味はないと思いますw

しかし、「りんごがあたった」(中毒した)のほうは、多少意味があるかもしれません。
“リンゴを食べて死ぬ”と言えば、思い当たるのは、グリム童話の『白雪姫』です。

また、賢治作品の中では、「りんご」は、しばしば意味ありげに現れます。

有名なのは、『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニが《天気輪の丘》に寝転ぶ場面です:

「そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果(りんご)を剥いたり、わらったり、いろいろな風にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。」

また、《銀河鉄道》の列車の中でも、乗客たちが、燈台看守にリンゴをもらって食べる場面があります。

これらでは、「りんご」は、家族の団欒の主役を演じているように思われます。

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