ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.1.6


. 春と修羅・初版本

19白い輝雪のあちこちが切れて
20あの永久の海蒼がのぞきでてゐる
21それから新鮮なそらの海鼠(なまこ)の匂

「永久の海蒼」は、白い雲の間から覗いている青空ですが、賢治はそこに、超自然的な永劫不変なものを見ているようです。
しかしそれは、諸宗教が崇めるようなまばゆい天のイメージとは違っていて、オゾン臭をはなつ「新鮮な…なまこ」が蠕いているような粘液質の世界なのです。

. 宮沢賢治の絵
↑こちらのファイルの「ケミカル・ガーデン」という絵で、割れた空の向こうに覗いている世界です。天上界と言うよりは《異界》と言ったほうがふさわしいような・永劫の世界の原像を、宮澤賢治は抱いていたようなのです。
高等農林時代に教会へ通ってキリスト教を学んだり、また、お寺で参禅して仏教の修行をしても、生涯消えることはなかった賢治の《異界》の原像が、これなのだと思います。

しかし、↑この絵と言い、「なまこの匂」がする「海蒼」と言い、‥どこかユーモラスで余裕があります。それが私たちをほっとさせるのです。。

22ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた
23こんなににはかに木がなくなつて
24眩ゆい芝生がいつぱいいつぱいにひらけるのは

“ステッキを振り回す”といった観察者の何気ない行為によって、眼前の風景や出来事が著しく変貌してしまうのは、おそらく、夢の世界の特徴だと思います。
「おれ」が「ステッキをふりすぎ」たために、まわりの木がなくなって広々とした草原になってしまいました。

作者「おれ」は、いよいよ幻想世界の中に入って来たのです。

25さうとも 銀杏並樹なら
26もう二哩もうしろになり
27野の緑青の縞のなかで
28あさの練兵をやつてゐる

「哩」は、マイル(約1.6`b)。
「緑青(ろくしょう)」は、銅の錆びで、うすい緑色:画像ファイル・緑青(1) 画像ファイル・緑青(2)

野原は「ろくしょう」色の若葉の薄みどりですが、濃いところも薄いところもあって縞になっています。

29うらうら湧きあがる昧爽のよろこび
30氷ひばりも啼いてゐる
31そのすきとほつたきれいななみは
32そらのぜんたいにさへ
33かなりの影響をあたへるのだ
34すなはち雲がだんだんあをい虚空に融けて
35たうたういまは
36ころころまるめられたパラフヰンの團子になつて
37ぽつかりぽつかりしづかにうかぶ

「昧爽(まいそう)」は、夜明けがたのほの暗い時間。

「氷ひばり」:ヒバリの冴えた啼き声から「氷」を連想していますが、読者としては、じっさいに氷でできたヒバリを思い浮かべてよいと思います。
その「氷ひばり」の透明な音色によって、空気中に波が広がって行き、その影響で「雲がだんだん青い虚空に融けて/とうとう今は/ころころまるめられたパラフィンのダンゴになつて/ぽっかりぽっかり静かに浮かぶ」。

38地平線はしきりにゆすれ
39むかふを鼻のあかい灰いろの紳士が
40うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて
41あるいてゐることはじつに明らかだ

地平線は、しきりに揺れています。

《赤鼻紳士》の登場です。
「あるいてゐることはじつに明らかだ」という推論口調。これも、夢の中の幻視の特徴です。論理的に納得しないと‘現実’にならないのです。

その姿が「灰いろ」であること、「うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて」いることなど、作者の観念の中にある類型的な金満家のフィギュアなのでしょう。




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