ゆらぐ蜉蝣文字
□第2章 真空溶媒
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2.2.10
. 春と修羅・初版本
09羽むしの死骸
10いちゐのかれ葉
11眞珠の泡に
12ちぎれたこけの花軸など
13 (ナチラナトラのひいさまは
14 いまみづ底のみかげのうへに
15 黄いろなかげとおふたりで
16 せつかくおどつてゐられます
17 いヽえ、けれども、すぐでせう
18 まもなく浮いておいででせう)
ユスリカの“お姫さま”は、みかげ石でできた手水鉢の水底で、「黄いろな影」を作って、ゆらゆらと踊っています。
水面には、「羽むしの死骸」や、苔のちぎれた破片、泡などが浮いています。
「羽むし」は、直接このユスリカの親ではないかもしれませんが、成虫の死骸の浮いた水の底で、新しく誕生した幼虫が踊っているようすは、やはり何か、自然界の無常を感じさせます。
イチイの枯れた針葉の破片や、苔の生殖器の破片も、ゴミとして片付けられてしまいそうな小さなものですが、自然界の生命の流転のカケラだとすれば、
そのひとつひとつが、かけがえのないものに思われてきます。
いつ消えてしまうか分からない水面の泡さえも、そこには、数限りない微生物の生命のドラマが隠されているにちがいないことを思えば、
美しく輝く真珠粒のように思われるのです‥
ところで、ユスリカを「ナチラナトラのひいさま」と呼んでいるのは、「8 γ e б α」と同じく、2字下げて書かれた括弧付きの声部です。
つまり、この詩は、とりあえず2つの声部の掛け合いで進んで行くのです。
字下げ・括弧つきの声部は、もうひとつの声部よりも小さな声で、遠慮がちに歌っているのでしょうか‥こちらを、低音部と見なしましょう。
“低音部”は、ユスリカを“お姫さま”と呼ぶロマンチックな声を、代表しているようです。
19赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は
20とがつた二つの耳をもち
21燐光珊瑚の環節に
22正しく飾る眞珠のぼたん
23くるりくるりと廻つてゐます
24(えヽ8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)
25 ことにもアラベスクの飾り文字)
ユスリカが水面近くに浮いて来たので、身体の細かい特徴まで見えるようになりました。
「燐光」は、光やエネルギーを吸収した物質が、暗黒の中で光り続ける現象で、“蛍光”よりも発光の続く時間が長い。とくに寿命の長い“燐光色素”であるアルミン酸ストロンチウムは、非常口の表示や、脱出経路のマーキングなど、安全設備に用いられています(英語版ウィキによる):画像ファイル・燐光,サンゴ
つまり、「燐光」とは、ぼやっと光る感じでしょう。
したがって、“燐光を発している珊瑚(さんご)”とは、
半透明な水の中で、日光を反射しながら回転している環節のある紅い身体を、海の底でぼんやり光るサンゴに譬えているのだと思います。
「眞珠のぼたん」は、環節についた微細な空気の泡です。