ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.2.8


. 『銀河鉄道の夜』より
葉などに謎めいたもようをつけている植物と言えば、‥思いつくのは、カタクリの葉と、クロモジの若枝です。

カタクリは、早春に芽を出して花を咲かせますが、濃緑色の葉には、謎めいた黒い模様があります:画像ファイル・カタクリ

クロモジは、落葉樹林の下層に多い低木で、枝を折ると、よい匂いがします。枝を削って爪楊枝にします。
クロモジの緑色の若枝には、その名のとおり、黒い文字のようなマダラ模様があります。昔の人は、お経の文字だと言って崇めたそうです:画像ファイル・クロモジ

じつは、賢治は、↑これらを両方とも、作品の中に登場させているのです:




「その窪地はふくふくした苔に覆われ、所々やさしいかたくりの花が咲いていました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色のあやしい文字を読みました。

『はるだ、はるだ、はるの日がきた、』字は一つずつ生きて息をついて、消えてはあらわれ、あらわれては又消えました。
『そらでも、つちでも、くさのうえでもいちめんいちめん、ももいろの火がもえている。』

 若い木霊(こだま)ははげしく鳴る胸を弾けさせまいと堅く堅く押えながら急いで又歩き出しました。」

(『若い木霊』)

「いきなり険しい灌木の崖が目の前に出ました。
 諒安はそのくろもじの枝にとりついてのぼりました。くろもじはかすかな匂を霧に送り霧は俄かに乳いろの柔らかなやさしいものを諒安によこしました。
 諒安はよじのぼりながら笑いました。
 その時霧は大へん陰気になりました。そこで諒安は霧にそのかすかな笑いを投げました。そこで霧はさっと明るくなりました。」
(『マグノリアの木』)

カタクリは、「つやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色のあやしい文字」を表示しています。

クロモジのほうは、文字の紋については書いてありませんが、主人公の「諒安」や霧との交感のようすが書かれています。

そして、どちらも、季節や自然に関するメッセージや感情を伝えている点は、共通しています。伝えられるメッセージや感情は、登場人物(木霊、諒安)にとっては、多分に官能的・性感的なものなのです。

↑これらは散文の物語ですが、
心象スケッチの中では、こうした“謎めいた文字”は、陽炎とともに立ち昇ったり、風に吹かれて飛んで来たりします:

「そらにはちりのやうに小鳥がとび
 かげらふや青いギリシヤ文字は
 せはしく野はらの雪に燃えます」
(「冬と銀河ステーシヨン」)

「風の透明な楔形文字は
 ごつごつ暗いくるみの枝に来て鳴らし」
(「北上山地の春」,#75,1924.4.20,第2集)

このように並べてみると、あの難解な文句も、解けてくるように思われます:

「心象のはいいろはがねから
 あけびのつるはくもにからまり
 のばらのやぶや腐植の湿地
 いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様」
(「春と修羅」)

「諂曲模様」とは、謎めいた文字や唐草が複雑に絡み合ったアラベスク模様ではないでしょうか?

「諂曲」とは、仏教用語で“へつらう”とか“真理を曲げて権力者におもねる”という意味だそうですが、ゴマをするにしろ、真理と違うことを言うにしろ、いずれにせよ、それは言葉です。
つまり、文字の乱舞、文字の絡み合いであるはずです。


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