ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.2.7


. 『銀河鉄道の夜』より

「『切符を拝見いたします。』〔…〕

〔…〕ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着のポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳んだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧にそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。

『これは三次空間の方からお持ちになったのですか。』車掌がたずねました。
『何だかわかりません。』もう大丈夫だと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。

『よろしゅうございます。南十字(サウザンクロス)へ着きますのは、次の第三時ころになります。』車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。

 カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのでした。〔…〕」

鳥捕りは、

『こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。〔…〕あなた方大したもんですね。』

などと言っていますが、ギトンは、これは信用できる話ではないと思います。じっさいにそのあとで、ジョバンニは、さらに別の世界へ(天上へ?)移って行くカムパネルラに、付いて行くことができないからです。どこにでも行ける通行券ではないのです!

よく見ると、鳥捕りの行動も不審です。ジョバンニとカムパネルラが《切符》を見ていると、「横からちらっとそれを見てあわてたように云」うのです。鳥捕りは、なぜ、あわてたのでしょうか?‥じつはその《切符》は、“通行券”どころか、もっと恐ろしい何かだったのではないか──という気が、ギトンにはするのです‥。「どこでも勝手にあるける通行券」というのは、鳥捕りがジョバンニたちを安心させるためについた嘘だったに違いありません。

《切符》を見た時の車掌の反応も気になります:

「まっすぐに立ち直って叮寧にそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したり」

と書いてありますから、《切符》そのものは、権威のある発行者のものなのでしょう。しかし、だからといって、所持者も特権を帯びることになるとは、限りません。例えばの話、護送される受刑者や流刑者のための通行証、あるいは端的に所持者を差別するレッテル──娼婦の鑑札や、ユダヤ人の星章のようなものかもしれないでしょう。

『よろしゅうございます。』

という車掌の答え方は、どうなのでしょう。乗車区間を確認したというよりは、よく読めないから、もうどうでもよいというふうにも取れます。

車掌は、「南十字(サウザンクロス)」駅の到着予定時刻を告げて立ち去っていますが、これも、どうしてなのか、よく分かりませんね。列車が停車する駅は「南十字」だけではないし、「南十字」は、次の駅でさえないのです。

「南十字」が、何かこの《切符》の発行者と関係しているのでしょうか‥‥それとも、とりあえず、降りる客の多い駅だからでしょうか‥

もしかすると、「南十字」駅で下車しなかったジョバンニとカムパネルラの行動は、《銀河鉄道》が予定していない“逸脱行動”なのかもしれません。。 そこに、二人が一緒の旅を続けられず、離れ離れになってしまった本当の理由があるのかもしれません。。。

とはいえ、この《切符》が何だったのかは、じつのところギトンにもまだよく分かりません。作者には、創作意図があったはずですが、簡単に読み取れないようです。
だからこそ、謎めいた「唐草模様」なのですが。。。

ところで、“緑色の紙に黒い唐草模様”という・このジョバンニの《切符》の意匠は、何に基づいているのでしょうか?‥

植物の葉を思わせないでしょうか?


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