ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
2ページ/42ページ



《B》 薄明のシンフォニア



【21】 真空溶媒





2.1.1


. 春と修羅・初版本
新しい章に入りました。

「真空溶媒」の日付は 5月18日。前の2篇の翌日木曜日です。
ちなみに、2日後の土曜日が「蠕蟲舞手」、その翌日の日曜が、あの長大な「小岩井農場」と‥ この頃の賢治の創作エネルギーには目を見張るものがあります。。

もちろん、これまで何度も言ってきましたように、賢治の作品日付は、もとになる《スケッチ》メモの書かれた日付、ないし取材日付でして、詩作品として成立するまでには何日も‥ 場合によっては何年もかかっています。

「小岩井農場」などは‥ じつは、あとで「小岩井農場」を扱うときに詳しく論じますが、
日付の5月21日の取材だけでなく、少なくとも2週間前の5月7日に小岩井農場へ赴いた際の《スケッチ》も混じっていることが推定できます。もしかすると、2回どころか、もっと何度も行って《スケッチ》した結果を、一日の出来事としてまとめている可能性すらあるのです。

しかし、そうだとすると、5月10日の「雲の信号」以来、8篇の作品の《スケッチ》と並行して、長詩「小岩井農場」を練り上げていたことになるのです。
まさに、あふれ出るような創作エネルギーと言わなければなりません。。。

さて、「真空溶媒」も248行にわたる作品で、「小岩井農場」ほどではありませんが、比較的長いものです。
そして、『春と修羅』収録作のなかでは、現役詩人の評価が良いという特徴があります。

例えば、山本太郎氏は:

「普通の詩人は幻想を主題にして幻想でその作品をくくってしまうのだが、賢治の眼はいつも、リアルに在るものだけを視て外(そ)れようとしない。
 宮澤賢治の言葉は、自然のかくされたひだに深くわけいり、裸の自然を僕達の前にみせてくれる。〔…〕僕等は賢治によって、詩のなかに蘇生したジュラ紀以来かわらぬ自然の本当の貌を視る事ができる。」

「この詩
〔真空溶媒──ギトン注〕を饒舌とみるのはあやまりである。内容のないおしゃべりではない。各行に彫まれた風景や心情が固定せず次元に作動して、みごとなリズムをつくりだしているのである。〔…〕賢治のイメージはけっして幻想をもてあそばない、幻想をめざすとみえる表現も、常に現実の自然と対照されてしっかり詩の空間を構成してゆく。」





と述べています。
つまり、「真空溶媒」は単なる現実離れしたファンタジーなのではなく、むしろ、一見幻想的な風景や、それに遭遇した作者の心情の動きを通じて、「ジュラ紀以来かわらぬ自然の」本質を、ありありと蘇らせ表現していると言うのです。

☆(注) 山本太郎「詩人・宮澤賢治」,in:『「春と修羅」研究U』,1975,学藝書林,pp.24,29-30.

もっとも、「真空溶媒」に限って言えば、具体的な作者の現実の生活や心情とはほとんど交渉のない・夢の世界を描いていることは、やはり争えないと思います。それが、『春と修羅』の他の詩作品とは異なる点だと思います。

「真空溶媒」は、純粋なファンタジーを描いているという点で、この詩集の中のひとつの頂点となっていることも、たしかなのです。

賢治の全詩作品を見渡しても、これほど手ばなしで幻想の世界に没入したものは、ほかに見られないのではないでしょうか。作者の抱えていた厄介な現実と切り離されているがゆえに、われわれは、作者の創り出す幻想の世界を悠々と楽しむことができるのです。

また、作者の現実生活と、いちおう切り離されて“独立性”を保っているせいで、この作品は、わかりやすいのです。

これまでに見てきた他の《スケッチ》のように、賢治の他の詩や短歌をたずねて語句の意味を探らなくとも‥、また、“このころ作者は何をしていたのだろう?‥勤務先では?家庭では?‥”と、作者の伝記的事実まであれこれ詮索しなくとも‥、
この作品は、この作品だけ読んで理解できるのです。

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ