ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
18ページ/42ページ


2.1.17


《保安掛り》は、荒涼とした空気に巻かれて気分が悪くなった「おれ」に近寄って来て、

104 (ご病氣ですか
105  たいへんお顔いろがわるいやうです

などと話しかけます。
来る途中で、《赤鼻紳士》の臨終に立ち会ってきたなどと言います:

. 春と修羅・初版本

109 (わたくしは保安掛りです)
110いやに四かくな背はい嚢だ
111そのなかに苦味丁幾や硼酸や
112いろいろはいつてゐるんだな
113 (さうですか
114  今日なんかおつとめも大へんでせう)
115 (ありがたう
116  いま途中で行き倒れがありましてな)
117 (どんなひとですか)
118 (りつぱな紳士です)
119 (はなのあかいひとでせう)
120 (さうです)
121 (犬はつかまつてゐましたか)
122 (臨終にさういつてゐましたがね
123  犬はもう十五哩もむかふでせう
124  じつにいヽ犬でした)
125 (ではあのひとはもう死にましたか)
126 (いヽえ露がおりればなほります
127  まあちよつと黄いろな時間だけの假死ですな
128  ううひどい風だ まゐつちまふ)

《保安掛り》は、病人を救護する人というより、高くから見て死亡を確認するのが役目という感じがします。
《赤鼻紳士》に関しても、

126 (いヽえ露がおりればなほります
127  まあちよつと黄いろな時間だけの假死ですな

などと、いっこうに心配している様子がありません。




しかし、この《保安掛り》の発言によって、作者の気分が悪くなった原因が判明します──というより、原因状況が作られます。
「露がおりればなほります」「黄いろな時間」から→、
水に溶ける“黄いろ”系の有毒ガスに発想が及び、現実化するのです:

. 春と修羅・初版本

129まつたくひどいかぜだ
130たほれてしまひさうだ
131沙漠でくされた駝[鳥]の卵
132たしかに硫化水素ははいつてゐるし
133ほかに無水亞硫酸
134つまりこれはそらからの瓦斯の気流に二つある
135しやうとつして渦になつて硫黄華ができる
136  気流に二つあつて硫黄華ができる
137    気流に二つあつて硫黄華ができる

「硫化水素」(H2S) は、卵の腐ったような臭気のある水溶性の無色の気体。吸いこむと目まいがして、意識を失います。大量に吸いこめば即死。

「無水亜硫酸」(=亜硫酸ガス、二酸化硫黄 SO2) は、刺激臭のある水溶性の無色の気体。吸いこむと気分が悪くなって、吐き気、頭痛などがします。

火山の噴気孔から放出される火山性ガスには、「硫化水素」も亜硫酸ガスも含まれています☆

☆(注) 箱根の大湧谷などは、火山ガスではなく、温泉ガスです。温泉ガスは硫化水素を含んでいるので腐卵臭がしますが、亜硫酸ガスは含んでいません)


.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ