ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
97ページ/114ページ


1.17.5


. 春と修羅・初版本

キンキン光る
西班尼(すぱにあ)製です
  (つめくさ つめくさ)
こんな舶來の草地でなら
黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい
 ┃
と┃ また鞭をもち赤い上着を着てもいい
 ┃
ら┃ ふくふくしてあたたかだ
 ┃

「つめくさ」ですが、日本にむかしからあるツメクサ(爪草)〔ナデシコ科〕ならば、こちらの写真なのですが:画像ファイル・爪草
これは直径2〜3mm のとても小さな花なので、地面をよく見ながら歩かないと気がつきません。賢治のころには、道ばたにふつうに生えていただろうと思いますが、現在では、ほとんど見られなくなりました。
それよりも、“つめくさ”と聞いて私たちが思い浮かべるのは、シロツメクサ(白詰草、クローバー)のほうではないでしょうか。
こちらはマメ科の帰化植物ですが、やはり道ばたとか土手、河川敷など、どこにでも生えています(最近は少なくなりました)。

“爪草”のほうを知っていた人は、よほどの物知りだと思います。ギトンは、どうして知っているかと言いますと…近種の高山植物に、タカネツメクサというのがあるので、覚えていたんですね。これは、高山で、他の植物がほとんど生えていない場所にも生えていて、細かい白い花を咲かせます。

ところで、賢治がここで書いているのが、どちらの「つめくさ」なのかは… 決め手がありません。爪草も白詰草も、当時はどこにでも生えている雑草だったでしょうから…
両方とも、白い花なので、日が当たったらキンキン光るでしょうし…
しかし、「西班尼製です」と言ってますから、帰化植物のクローバーのほうだと思います。「西班尼(スパニア)」は、スペインのことです。

なぜ、ここにスペインが出てくるのかというと…
オペラ『カルメン』は、原作者も作曲者もフランス人ですけれども、物語の舞台がスペインなのです。闘牛場の場面も出てきます。

スペイン製の「舶来の草地」だからクローバーが咲いてるってわけですね。
そこで、「黒砂糖のような甘ったるい声で」……♪♪ とらよとすれば その手から〜 ‥‥‥‥と、口ずさみながら歩いて行くわけですw

「黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい
 また鞭をもち赤い上着を着てもいい」

この部分ですが、「鞭をもち赤い上着を着て」いるのは、西洋の騎兵の格好ではないでしょうか?
「鞭」は乗馬のムチ。カルメンの舞台に出てくる騎兵は、ふつうは赤い服ではありませんが、英国軍やフランス軍には赤い軍服があります。
そして、「黒砂糖のような甘ったるい声」はテノール。テノールと言えば、オペラ『カルメン』でカルメンと対になる男役ドン・ホセは、テノールです。
白秋の「恋の鳥」が劇中歌になった1911年の和製オペラ『カルメン』で、誰がドン・ホセ役を演じたかは、調べても分かりませんでした。しかし、1922年の原作オペラ『カルメン』上演では、田谷力三☆がドン・ホセを演じています。
『春と修羅・第2集』の「凾館港春夜光景」(#118,1924.5.19.)に:

「夜ぞらにふるふビオロンと銅鑼、
 サミセンにもつれる笛や、
 繰りかへす螺[さざえ]のスケルツォ
 あはれマドロス田谷力三は、
 ひとりセビラの床屋を唱ひ、」

とあります。マドロス(船員)の掛け声が、『セビリアの理髪師』の有名な「フィ〜ガロ!フィガロ!フィガロ!フィガロ!フィガロ!‥」という早口アリアに聴こえるのでしょう‥
賢治は、田谷力三のファンだったのではないかと思います。

☆(注) 田谷力三(1899-1988)は、大正〜昭和初期に活躍した長身イケメンの男声オペラ歌手。1917年、イタリア人ローシー主宰の歌劇団“赤坂ローヤル館”に入団し、テノールとしてデビュー。閉館後は“浅草オペラ”の各歌劇団で活躍。日本で最初の本格派テノールとして、浅草では絶大な人気を誇った。鈴の音のように美しい頭声で響かせる高音は絶品と言われた。


田谷力三
 ボッカチオ役、23歳、1922年、浅草・金龍館

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ