ゆらぐ蜉蝣文字
□第1章 春と修羅
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《Be》 すあしのユリア
【17】 習 作
1.17.1
. 春と修羅・初版本※
「習作」は、「風景」「手簡」の2日後、5月14日(日曜)の日付ですが、
これはまた変わった形の詩ですね。罫線の左側(縦組みの初版本では頁の上部)の字は、
「とらよとすれば その手から ことりはそらへ とんで行く」
という75調の詩句になっています。
※(注) 【ガラケの方へ】《初版本》の次のページへは 数字キーの # 入力で めくってください。
6行目以下は、携帯から見やすいように、長い行を折り返してあります。行が乱れるようでしたら、字の大きさを調整してみてください。〔中〕文字ていどが良いと思います。
キンキン光る
西班尼(すぱにあ)製です
(つめくさ つめくさ)
こんな舶來の草地でなら
黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい
┃
と┃ また鞭をもち赤い上着を着てもいい
┃
ら┃ ふくふくしてあたたかだ
┃
よ┃ 野ばらが咲いてゐる 白い花
┃
と┃ 秋には熟したいちごにもなり
┃
す┃ 硝子のやうな實にもなる野ばらの花だ
┃
れ┃ 立ちどまりたいが立ちどまらない
┃
ば┃ とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ
┃
そ┃ みきは黒くて黒檀(こくたん)まがひ
┃
の┃ (あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)
┃
手┃ このやぶはずゐぶんよく据えつけられてゐると
┃
か┃ かんがへたのはすぐこの上だ
┃
ら┃ じつさい岩のやうに
┃
こ┃ 船のやうに
┃
と┃ 据えつけられてゐたのだから
┃
り┃ ……仕方ない
┃
は┃ ほうこの麦の間に何を播いたんだ
┃
そ┃ すぎなだ
┃
ら┃ すぎなを麥の間作ですか
┃
へ┃ 柘植(つげ)さんが
┃
と┃ ひやかしに云つてゐるやうな
┃
ん┃ そんな口調がちやんとひとり
┃
で┃ 私の中に棲んでゐる
┃
行┃ 和賀の混んだ松並木のときだつて
┃
く┃ さうだ
┃
この左側の詩句は、じつは歌詞なのです。1919年1月に浅草・有楽座で初演された和製オペラ『カルメン』(メリメ原作ビゼー作曲歌劇『カルメン』の翻案)の劇中歌「恋の鳥」(北原白秋作詞)の歌詞で、当時、東京で流行していました(⇒画像ファイル:浅草公園六区、有楽座)☆
☆(注) 日本でラジオ放送が開始されるのは1925年ですから、「習作」が書かれた1922年ころは、東京で流行っていた歌も、花巻や盛岡ではあまり聞く機会がなかったかもしれません。しかし、賢治は1918年12月から19年2月まで、とし子看護のために東京に滞在していますから、『カルメン』の公演を見ている可能性があります。また、この和製オペラ『カルメン』を出し物にしていた「新芸術座」は、1919年9月〜11月に東北・北海道巡業をしています。盛岡で上演された可能性もあるのです。
初版本では、この詩句の区切りがページの区切りと一致するように配置していますから、
作者としては、このような習作的な試みに興味があったのだと思います。
「恋の鳥」の北原白秋の歌詞は次のとおりですが:
一、
捕へて見ればその手から
小鳥は空へ飛んでゆく
泣いても泣いても泣ききれぬ
可愛いい可愛い戀の鳥
二、
たづねさがせばよう見えず
氣にもかけねばすぐ見えて
夜も日も知らず、氣儘鳥
來たり往んだり風の鳥
三、
捕えよとすれば飛んでゆく
逃げよとすれば飛びすがり
好いた惚れたと追つかける
翼火の鳥、戀の鳥
四、
若しも翼を擦り寄せて
離しやせぬぞとなつたなら
それこそ、あぶない魔法鳥
戀ひしおそろし、戀の鳥
賢治の「習作」のものは、1番と3番の各最初の行を併せたようになっています★
★(注) 3番の「捕らえよと」は「とらよと」と唄われていたし、白秋の全集に載っている原詩も「とらよと」だ、と指摘する人もあります。
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