ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
89ページ/114ページ


1.16.7


『ひかりの素足』に出てくる「にょらいじゅりゃうぼん[如来寿量品]第十六」★は、『法華経』の第16章です。

★(注) 宮澤賢治が『法華経』の中で、もっとも重視していたのは「如来寿量品」だと、ギトンは考えています。賢治研究者がよく挙げる「化城喩品」などは、どうして挙がるのか分かりません。“方便”を強調する「化城喩品」は、むしろ賢治の思想傾向に反する気がするのです。ちなみに、令弟清六氏の証言もギトンを支持しているのが、最近分かりました:「その夏〔1914年──ギトン注〕〔…〕高橋勘太郎という人から父に贈られた『国訳妙法蓮華経』を賢治が読んだ〔…〕その中の『如来寿量品』を読んだ時に特に感動して、驚喜して身体がふるえて止まらなかったと言う。後年この感激をノートに『太陽昇る』とも書いている。」(宮沢清六『兄のトランク』,ちくま文庫,p.247)

「一郎はまぶしいやうな気がして顔をあげられませんでした。その人ははだしでした。まるで貝殻のやうに白くひかる大きなすあしでした。」

とあって、たんに白くて長く美しいという“すあしのユリア”の官能的な描写を超えて、まぶしい神々しさが強調されます。

「その柔らかなすあしは鋭い鋭い瑪瑙のかけらをふみ燃えあがる赤い火をふんで少しも傷つかず又灼けませんでした。」

また、

「くびすのところの肉はかゞやいて地面まで垂れてゐました。」

と書かれています。
そこで、如来(お釈迦さま、ないし仏像)の身体の特徴「三十二相八十種好」を調べてみましたが、ぴったりあてはまるものはありません:

. 三十二相
<4>足跟広平相:かかとが広い。

. 八十種好
<4> 耳輪埵:耳の外輪の部分が長く垂れている。
<17>踝不現:踝が骨ばっていない。

くびす(かかと)の肉が地面まで垂れているというのは、「足跟[かかと]広平相」と「踝[くるぶし]不現」の強調なのか、「耳輪埵(じりんた)」を足に持ってきたのか、よく分かりません。
現実の人間としては変だし、ファンタジーのキャラとしても奇怪です。仏の姿の想像と思ってよいのではないでしょうか。

ともかく、その如来と思われる「すあし」の人物が、“メノウの棘の野原”はお前たちの気のせいだと言って、地面に円を描くと、あたりは天上の風景に変ってしまいます。「すあし」の人物、周りの子どもたち、そして一郎と弟の姿や服装も、「羅」と「瓔珞」をまとった天人のものになります。

これは、『法華経』「如来寿量品」で、シャカが述べた思想☆を物語として描いたものだと思います。

☆(注) ちなみに、「如来寿量品」で、シャカは、「常在霊鷲山」(余は常に霊鷲山にいる)と述べています。「霊鷲山(りょうじゅせん)」は、インド・ビハール州ラージギル(ガンジス川中流、古代・マガダ国の王都“王舎城”)近くのグリドラ・クータ(Grdhrakūta)山のことです。『法華経』は、この「霊鷲山」でシャカが弟子たちに説法したものだとされていますが、もちろん、『法華経』はシャカの没年より何百年も後に成立していますから、これはフィクションです。ところで、この「霊鷲山」の写真をネットで見たところ‥、なんと‥あの“種山ヶ原”とそっくりの形の岩が頂上にあるのです!!‥宮澤賢治がどうして“種山ヶ原”を愛好したのかが分かりました!賢治は“種山ヶ原”に、『法華経』誕生の地・霊鷲山を見ていたのです。



(左)種山ヶ原・物見山(岩手県)のモナドノック     (右)霊鷲山(インド・ビハール州)の頂上にある岩


.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ