ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.16.6


このように、「小岩井農場」《下書稿》──つまり、1922年5月末〜23年前半ころの段階では、“すあしのユリア”は、作者が心から頼りにする存在であると同時に、「火の野原」のように燃え熾るこの世界(作者の《心象》)のただ中を、灼かれることもなく渡ってゆく美しい形象であり、作者の“清浄な”愛欲の対象なのです。





さて、次に“白いすあし”が現れるのは、童話『ひかりの素足』です。用紙から推定される執筆年代は、「小岩井農場」《下書稿》よりもやや後で、やはり1923年前半までの時期と思われます。

吹雪に巻かれて意識を失った一郎・楢夫の兄弟は、おおぜいの亡者の子どもたちとともに、裸で「うすあかりの国」をさまよっています。
彼らの足は、「赤い瑪瑙[メノウ]の野原」で傷ついて血を流し、彼らを追い立てる鬼たちの怒鳴り声や鞭の音が響きます。

そこへ、白く光るすあしの「立派な大きな人」が歩いて来ました:

「『歩け。』鞭が又鳴りましたので一郎は両腕であらん限り楢夫をかばひました。かばひながら一郎はどこからか
『にょらいじゅりゃうぼん第十六。』といふやうな語(ことば)がかすかな風のやうに又匂のやうに一郎に感じました。すると何だかまはりがほっと楽になったやうに思って
『にょらいじゅりゃうぼん。』と繰り返してつぶやいてみました。すると前の方を行く鬼が立ちどまって〔…〕鞭の音も叫び声もやみました。〔…〕そのうすくらい赤い瑪瑙の野原のはづれがぼうっと黄金いろになってその中を立派な大きな人がまっすぐにこっちへ歩いて来るのでした。
  〔…〕
 その人の足は白く光って見えました。〔…〕
 一郎はまぶしいやうな気がして顔をあげられませんでした。その人ははだしでした。まるで貝殻のやうに白くひかる大きなすあしでした。くびすのところの肉はかゞやいて地面まで垂れてゐました。大きなまっ白なすあしだったのです。けれどもその柔らかなすあしは鋭い鋭い瑪瑙のかけらをふみ燃えあがる赤い火をふんで少しも傷つかず又灼けませんでした。地面の棘さへ又折れませんでした。
『こはいことはないぞ。』微かに微かにわらひながらその人はみんなに云ひました。その大きな瞳は青い蓮のはなびらのやうにりんとみんなを見ました。みんなはどう云ふわけともなく一度に手を合わせました。
『こはいことはない。おまへたちの罪はこの世界を包む大きな徳の力にくらべれば太陽の光とあざみの棘のさきの小さな露のやうなもんだ。なんにもこはいことはない。』
  〔…〕
『こゝは地面が剣でできてゐる。お前たちはそれで足やからだをやぶる。さうお前たちは思ってゐる、けれどもこの地面はまるっきり平らなのだ。さあご覧。』
 その人は少しかゞんでそのまっ白な手で地面に一つ輪をかきました。〔…〕今までの赤い瑪瑙の棘ででき暗い火の舌を吐いてゐたかなしい地面が今は平らな平らな波一つ立たないまっ青な湖水の面に変り〔…〕その上には〔…〕沢山の立派な木や建物がじっと浮んでゐたのです。〔…〕
 それから空の方からはいろいろな楽器の音がさまざまのいろの光のこなと一所に微かに降ってくるのでした。〔…〕
 一郎はさっきの人を見ました。その人はさっきとは又まるで見ちがへるやうでした。立派な瓔珞をかけ黄金の円光を冠りかすかに笑ってみんなのうしろに立ってゐました。〔…〕
 さっきのうすくらい野原で一緒だった人たちはいまみな立派に変ってゐました。一郎は楢夫を見ました。楢夫がやはり黄金いろのきものを着、瓔珞も着けてゐたのです。それから自分を見ました。一郎の足の傷や何かはすっかりなほっていまはまっ白に光りその手はまばゆくいゝ匂だったのです。」

『ひかりの素足』は、「小岩井農場」《下書稿》よりもずっと仏教臭が強くなっていますね。

それとともに、“いっさいは心の問題だ”という仏教的な思想に強く傾いているのが気になります‥

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