ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.16.4


そこで、用例を検討しましょう:

「そして、黒い路が、俄に消えてしまひました。〔…〕
 達二はいつか、草に倒れてゐました。
 そんなことはみんなぼんやりしたもやの中の出来事のやうでした。〔…〕
 達二はみんなと一緒に、たそがれの県道を歩いてゐたのです。
 橙色の月が、来た方の山からしづかに登りました。伊佐戸の町で燃す火が、赤くゆらいでゐます。
〔…〕赤い提灯が沢山点(とも)され、達二の兄さんが提灯を持って来て達二と並んで歩きました。兄さんの足が、寒天のやうで、夢のやうな色で、無暗(むやみ)に長いのでした。」
(「種山ヶ原」)

おそらく、↑この童話「種山ヶ原」が、もっとも早い例ではないかと思います。
小学生の達二が種山ヶ原で、逃げた牛を探していて道に迷い、草むらに倒れて見た夢の中の情景です。達二の兄の脚が、

「寒天のやうで、夢のやうな色で、むやみに長いのでした」

と書かれています。
草稿の用紙から推定される執筆時期は、1920-21年ころです。





↓次は、「小岩井農場」《下書稿》☆の一部で、「パート九」にあたる部分です。
用紙から推定される執筆時期は、1922.5末〜1923前半ころです。

スケッチの場所は、画像ファイル・小岩井農場・略図(1) ←こちらの地図で《聖なる地》と書いてあるところです。

作者は、小岩井農場を南から北へ縦断し、《狼森(おいのもり)》の近くまで行った時に雨が降り出したので、引き返しました。

雨の降る中を、駅に向かって戻って行く途中、《聖なる地》付近を通過するあいだのスケッチが「パート九」です。
少し長いですけれども、次のページで引用します⇒

☆(注) 手入れの前の《下書稿》の最初のテキストを復元しました←『新校本全集』「第2巻・校異篇」,pp.49-51.

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