ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.16.3


「あなた」は、もし人間だとすれば、手紙を書いてきた人物、あるいは作者が手紙を書こうとしている人でしょう。作者は、その誰かが、いまもしそばにいてくれたらと、願っているようです。
「まっすぐに立って」いるかという問いかけは、相手も自分もともに、つらい境遇のなかで、意識を真っ直ぐに保っていこうという励ましかもしれません。

雨は強くなり、ますます透明感を増しています。
雨の強さは、周囲の対人関係などが、ますます耐え難いものになっているという作者の感覚に対応します。
ここでの「すきとほっている」は、
「恋と病熱」で、とし子が「透明薔薇の火に燃される」、あるいは、
「カーバイト倉庫」の「すきとほつてつめたい電燈」と同様に、
心細い寂しさを表現しているのだと思います。

「春光呪咀」の「がらんとしたもんだ」に近い心境ではないでしょうか。

. 詩ファイル「手簡」

15誰か子供が噛んでゐるのではありませんか。
16向ふではあの男が咽喉をぶつぶつ鳴らします。

校舎の中か外か、まわりにいる・ほかの人間の声は、
子どもも大人も、何かを噛んでいる音か、「咽喉をぶつぶつ鳴ら」す音にしか聞こえません。

ところで、↑この2行、とくに15行目は、なんだか唐突ではないでしょうか?
15行目の前に何行か省略されているような気がするのですが‥
「咽喉をぶつぶつ鳴ら」すというのは、ぶつぶつ喋っているということでしょう。
「子供」は、小さな子どもではないかもしれません。高校以下の学校では、生徒を「子供」と言います。農学校の生徒ではないでしょうか?‥「噛んでゐる」も、声でしょうけれども、喉につかえたようなぼそぼそした喋り方ではないでしょうか。

15行目の前には、同僚教師の誰かが生徒を叱っている状況が書かれていたのではないでしょうか?☆‥

☆(注) だとすると、作者のいる職員室の中には、じつは少なくとももうひとりの教師とひとりの生徒がいることになります。

そして、宮澤賢治の性格、また、教師というこれまでとは逆の立場に身をおいてから月日が浅いことを考慮すると、賢治は、叱られている生徒に同情──という以上に、強く感情移入して、まるで自分が叱られているように感じたかもしれません。

しかし、現在私たちが見ることのできる清書稿では、その部分は──より初期の草稿には書かれたとしても──破棄されています。
第4段から登場した「あなた」に焦点を移したために、生徒に感情移入する筋は削除されたのだと思います。

17おゝユリア、いま私は廊下へ出やうと思ひます。

18どうか十ぺんだけ一諸に往来[ゆきき]して下さい。
19その白びかりの巨きなすあしで
20あすこのつめたい板を
21私と一諸にふんで下さい。




☆(注) この17行目は、詩ファイルとは少し違います。草稿の手入れ前のテキストを復元しました←『新校本全集』「第2巻・校異篇」,p.189.

「十ぺんだけ」と言っていますが、10往復とは、ずいぶん多い数です。「あすこのつめたい板」は、廊下の板床でしょう。
作者は、何度も廊下を往復するような仕事をしようとしていたのでしょうか?単に講義をするために教室と職員室の間を往復するだけでは10往復にはならないでしょう。

問題は、作者が話しかけている相手──「ユリア」と呼ばれている「あなた」の正体です。
「ユリア」は、「白びかりの巨きなすあし」を持っています。持っているだけでなく、ふだんから素足を見せています。

まず、性別について考えたほうがよいかもしれません。
白い素足から女性を想定するのは、賢治に関しては間違えだと思います。ミニスカートなどは存在しない時代です。当時の農村や地方都市で、女性が素足を人目にさらす機会はほとんど無かったはずです。
むしろ男性と考えるべきです。宮澤賢治ならば、男性のきれいな素足にも性的に反応したのはまちがえありません。
少年かもしれませんが、やや年齢の高い若者のほうがありうるように思います。というのは、農村の子どもの脚は日に焼けていて、白くはないだろうからです。むしろ、ふだん長ズボンに隠れている青年の脚のほうが白いでしょう。また、成長しきった脚のほうが、すらっとして目立ちます。

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