ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.16.2


それでは、最初に戻って、1段ずつ検討して行きます:

. 「手簡」

01雨がぽしゃぽしゃ降ってゐます。
02心象の明滅をきれぎれに降る透明な雨です。
03ぬれるのはすぎなやすいば、
04ひのきの髪は延び過ぎました。

同じ日のスケッチ「風景」は、天気がいまにも崩れて雨が降りだしそうな不安定な空もようを暗示していました。しかし、それはまた曖昧さの奥に不安を宿す《心象》でもあったのです。

2行目は、雨が降っているのか降っていないのかよく分からない感じですが、3〜4段から、じっさいに降っていることが分かります。
雨脚のせいで、《心象風景》(目に見える実際の風景)は、一瞬一瞬消えては再生しているかのようです。

とりとめなく浮かんでは消える想念の合間・合間に、細かい雨が降りしきる様子を描いているのでしょう。

スイバはタデ科の葉の広い草。スギナはシダ植物トクサ科、ツクシはスギナの胞子穂。これらは、田畑、道端、土手などに多い雑草です:画像ファイル・スギナ・スイバ

04ひのきの髪は延び過ぎました。

は、ヒノキの新しい葉枝が徒長したようす。ヒノキは、春に新葉が伸びると、たしかに、ふさふさした髪のような感じになります。
この4行目と、次の5-6行目:

05私の胸腔は暗くて熱く
06もう醗酵をはじめたんぢゃないかと思ひます。

との間には、アンビヴァレンツがあると思います。
つまり、ふさふさした髪の毛を一方ではよいと思い、他方では胸のうちの異様な熱情と結びつけています。

ところで、宮澤賢治といえば、残っている肖像写真はどれも坊主頭ですが、これは一種のカムフラージュですから、騙されないようにしなければなりません。
ふだんは髪を伸ばしていることが多かった。農学校教師時代は、ポマードを付けたりもしていたそうです。そして、写真を撮る時には(カメラを持っているのは専門家だけだった時代です)床屋へ行って丸刈りにしたのです。たまたま、賢治の行く近所の床屋が、丸刈りしかできない床屋だったという回想談もあります☆

☆(注) 大内秀明『賢治とモリスの環境芸術』,2007,時潮社,pp.52-53.

しかし、「暗くて熱」い胸腔といい、「醗酵」といい、よほど暗い想念がとりとめなく次から次へと浮かんでいるようですが、
その合間を縫うように透き通った雨が降りしきるので、精神はなんとか平常を保っていられるというふうです。

07雨にぬれた緑のどてのこっちを
08ゴム引きの青泥いろのマントが
09ゆっくりゆっくり行くといふのは
10実にこれはつらいことなのです。

「ゴム引[び]き」は、布などにゴムをコーティングして防水加工したもの。
これは、じっさいに窓から見える城あとの崖の下あたりを、濡れた草とぬかるみで難渋しながら人が歩いているのかもしれません。あるいは、作者自身が(おそらく何分か前に)そうやって歩いたのかもしれないと思います。
ともかく、こうやってスケッチとして書かれると‘幽体離脱’のような表現になります。
「ゆっくりゆっくり行く」のは、何かの作業で重いもの(たとえば豚の餌)を運んでいるのかもしれませんが、その・なかなか前に進んで行かない、ゆっくりと動いている感じを、作者は自分の「つら」さとして感じます。つまり、環境への強い感情移入が表現されます。

11あなたは今どこに居られますか
12早くも私の右のこの黄ばんだ陰の空間に
13まっすぐに立ってゐられますか。
14雨も一層すきとほって強くなりましたし。

「あなた」の登場とともに、作者の「胸腔」の暗い熱情を「きれぎれに」する雨は、「いっそう透き通って強くなりました」。そして、「あなた」は、「私」の横に「まっすぐに立って」います。
つまり、作者は、「あなた」の存在によって、かろうじて精神の平衡を保っているのです。

「私」は、「あなた」が「黄ばんだ陰の空間」に現れている★と感じています。
もちろん、これは現実に部屋の中に人が入って来た状況とは思えません。人の幻影か、想像上か、あるいは異界の存在ということになります。

★(注) 「黄ばんだ陰の空間」という表現は、「あなた」が、作者の陰鬱な恋愛感情の対象であることを示しているかもしれません。『冬のスケッチ』には、次のような断片があります:「薄明穹黄ばみ濁り/こひのこゝろはあわたゞし/こひのこゝろはつめたくかなし」(1葉,§2) つまり、「黄ばんだ‥空間」は、錯乱した恋愛感情の表現なのです。




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