ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.15.2


「炭酸」のほうはどうかというと、化学反応による比喩の中で使われることが多いです。『春と修羅・第1集』から挙げますと:

20筋骨はつめたい炭酸に粗(あら)び
 〔…〕
22敬虔に年を累(かさ)ねた師父たちよ
(「原体剣舞連」)

01海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた
02緑青のとこもあれば藍銅鉱(アズライト)のとこもある
(「オホーツク挽歌」)

このように、「炭酸」は、『冬のスケッチ』や「風景」の「カルボン酸」とは、だいぶイメージが違います‥

以上から、「カルボン酸」は、炭酸ではなく、軟らかい固体の脂肪酸を指していると考えられます。
「たよりないカルボン酸」とは、温められて、ぐんにゃりと溶けてしまいそうな頼りない雲の様子──どこか不安な春の情景を表しているのでしょう。

. 春と修羅・初版本

01雲はたよりないカルボン酸
02さくらは咲いて日にひかり
03また風が來てくさを吹けば
04截られたたらの木もふるふ
 〔…〕
08  風は青い喪神をふき
09  黄金の草 ゆするゆする
10   雲はたよりないカルボン酸
11   さくらが日に光るのはゐなか風だ

よく見ると、この詩の最初の2行は、最後の2行とほとんど同じで、
3-4行目も、8-9行目に対応しています。
そして《宮澤家本》に記入された推敲の途中形ですが:

11   さくらは白く日に光る
11a   気海の蛙の卵である

となっています。
日にあたって光る満開の桜が「ゐなか風だ」というのは、蛙の卵のようにぶよぶよ・ふわふわした感じ‥これも「カルボン酸」の雲と同様に、頼りないようすを言っていることがわかります。

ところで、5月中旬に咲いている桜は、ソメイヨシノにしては若干遅すぎると思います。

たとえば、ヤフーの2013年ソメイヨシノ開花予想を見ますと:

 高松池公園(盛岡市内)で
 4月中旬〜5月上旬

 花巻温泉(花巻市内より若干高地)で 4月下旬〜5月上旬

 北上市の市立公園展勝地(北上川河畔)で
 4月中旬〜4月下旬

ウェザーニュースの2013年予想(高松池公園)は、一輪開花4月22日、満開開始4月28日、桜吹雪5月1日でした。
岩手県で(のみならず本州で)最も遅い小岩井農場でも、5月中旬には散ります。

以上から考えますと、「風景」に描かれた「さくら」はヤマザクラではないかと思います。

04截られたたらの木もふるふ

タラノキは、伐採地や禿げた斜面などに生える灌木で、枝に棘があります。春先に「タラの芽」を採って山菜料理にして食べます:画像ファイル・タラノキ

春の里山を歩くと、山菜採りで芽を毟られたタラノキを見かけます。しばらくすれば次の芽が出てくるのですが、見た目には、毟られた芽の痕がぎっしり並んでいるようすは無惨なものです。

「截[き]られた・たらの木」は、そうして芽を取られたタラノキを言っているのではないでしょうか。
芽の痕と細い枝が風にそよいで、はだ寒い感じがします。
桜が日に光るのは、暖かい陽春の風情ですが

03また風が來てくさを吹けば
04截られたたらの木もふるふ

まだ風が吹けば寒さが戻ってくるような北国の春です。




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