ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.14.2


そうした賢治が、次第に同僚や生徒と打ち解け、また校長からも認められるようになり、学校で本領を発揮するようになるのは、この年の夏頃からではないかと、ギトンは思います。
1922年8月の執筆と思われる散文『イギリス海岸』
には、賢治が補習(夏期休暇中)の生徒たちと、北上川で水泳や化石採集をしながら、校長が出張から帰って来るのを恐れているようす、そして帰って来た校長が、喜んでいっしょに泳ぎ始めたので、賢治は胸をなでおろすようすが書かれています。

この春ころはまだ、明暗相半ばしている感じで、
たとえば、このあと出てくる詩「手簡」(《初版本》には収録されませんでしたが、同じ時期なので扱います)を読むと、賢治は農学校の勤務がこんなに堪えがたかったのだろうかと、驚くほどです‥

しかし、この「雲の信号」は、“明”のほうに入れてよいと思います。

もっとも、スケッチ自体は謎めいた言葉に満ちているので、さまざまな穿った解釈が行われているようです。
しかし、宮澤賢治が最初から、言葉を象徴記号として使った“エニグマ(謎詩)”として諸詩篇を書いているとは、ギトンは思いません。やはりスケッチはスケッチとして、“ありのままの忠実な記録”として書いていると思うのです。

そして、もし、さらに作者の無意識の深層にまで降りてゆくことが可能なコトバとして読める場合には、深読みも許されるだろうと考えるのみです。

そこで、まずは無理をせずに、《流れ》で読んで行くことにしましょう。

. 春と修羅・初版本

01あヽいヽな、せいせいするな
02風が吹くし
03農具はぴかぴか光つてゐるし
04山はぼんやり
05岩頸([が]んけい)だつて岩鐘(がんしやう)だつて
06みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
07 そのとき雲の信號は
08 もう青白い春の
09 禁慾のそら高く掲(かヽ)げられてゐた
10山はぼんやり
11きつと四本杉には
12今夜は雁[かり]もおりてくる

ギトンは、いつも一読すると、最後の11-12行目の印象が強く残るのです。
作者の立ち位置は耕地の上。おそらく稗貫農学校の実習田ですが、場所についてはあとで議論します。
作者の視線は、最初近くにあって、遠くに移ります。次第に遠景がはっきりと見えてきます。最後で、遠くにある「四本杉」がクローズアップされます。
「今夜は雁もおりてくる」は、スケッチの現在時ではなく未来時ですが、かえってはっきりと印象深く、目に映像が浮かんでくるのがおもしろいと思います。

この“四本杉に雁”を、同衾の比喩と見る解釈もあるらしいのですが、あえて同衾と決めつけなくてもよいとギトンは思うのです…決めつける根拠もありませんし。
むしろ、なつかしい人がやって来る、あるいは、懐かしい人から来た手紙を読む、あるいは、手紙を出す──そうした連想を考えてもよいと思います。

雁(かり、がん)は、日本にはシベリア東部から越冬しに来る渡り鳥ですが、ギトンのいる関東地方では全く見かけなくなりました:画像ファイル・雁
Wikiで見ますと、「〜がん」と名のつく鳥で日本に来るのは、おもにマガン、ほかにコクガンが少数。どちらも絶滅危惧のため天然記念物指定されています。マガンの越冬地は、現在では“主に石川県、新潟県、宮城県”と書かれていますが、北海道や東北北部も渡りの中継点になっています。
バードウォッチャーでもないふつうの人が見かける雁は、編隊を組んで飛行している姿でしょう。編隊のきれいな形と、よく響く啼き声に特徴があります。
夕方に“塒入り”するときも、1羽ということはなく、集団で沼などに舞い降りてから、それぞれの巣に帰って行きます。
「雁もおりてくる」も、「四本杉」に上から雁が1羽か数羽降りてくる映像だとすると雁の習性に反するのですが‥、
賢治は雁の習性をよく知らなくて、そう思っていたかもしれません。



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