ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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【13】陽ざしとかれ草





1.13.1


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. 春と修羅・初版本 . 詩ファイル「陽ざしとかれくさ」

この「陽ざしとかれくさ」は、すでに《いんとろ》で取りあげましたが:いんとろ【3】
「谷」の3日後、4月23日で日曜。場所は不明ですが、清六氏☆が想像しているように花巻城址の草原でもおかしくはありません。ただ、日曜だから実習はないはずです。

☆(注) 宮沢清六『兄のトランク』,pp133-137.

チーゼル(teasel):↑↑詩ファイルに画像を出しておきました。高さ1〜2mになるヨーロッパ〜北アフリカ原産の二年草で、和名は、ラシャカキソウ(羅紗掻草),オニナベナ(鬼なべな)。
手のひらほどの大きな花穂に、タワシのようなトゲがびっしりと付いています。この花穂を乾燥させて機械に取り付け、毛織物や獣毛製品の毛羽立てに利用します。
いま日本では、ほとんど見られませんが、賢治の時代には毛織物工業(サージ織など)があったので、東北でも栽培していたかもしれません。

パラフヰン(パラフィン):炭素原子の数が20以上の石油系炭化水素です。透明な粘性の液体、または半透明で軟らかい白い固体。クレンジング・クリーム、ロウソクなど。

同人誌『反情』(1924.3.)に寄稿したものを、初版本にも、ほぼそのまま採録しています。
↑寄稿時期を見ますと、詩集『春の修羅』の編集・印刷の時期に、収録作の中から選んで一足先に発表していますから、作者はよほどこの詩が気に入っていたのだと思います。
しかし、なんとも難解、というより不可解な作品です。
ここでも、タイトルが解読の鍵になると思います。



ぼやっと靄で煙って、歩いていても眠たくなりそうな春の野原。
烏の飛行さえ、まるで器械じかけでぐるぐる回っているような物憂さを覚えます。

しかし、お日さまは、『もう春だよ。芽を出しな』と言うように、ちくちくとまばゆい光を投げてきます…

「(これはかはりますか)
 (かはります)
 〔…〕」

 ↑これは、雪の融けたばかりの野原で、茶色く枯れている草をひとつひとつ改めながら、芽吹いて緑色に変わるか、変わらないかと尋ねているのです。

チーゼルの棘穂のちくちくした感触が、強くなってきた陽ざしの感覚を表していますが、
ここで、「これは変はりますか?」と尋ねているのは、誰なのでしょうか?

作者の位置は、地上にあって、枯れ草に近い高さにあることは見て取れます。

清六氏は、作者の立ち位置を、城址の草原に寝転んでいるとしています。

そうすると、「これは変はりますか?」と尋ねているのは、作者の上に陽射しを投げかけて「パラフィンの靄」を作っている太陽でしょうか?

さて、上のギトンの“読み”は、あくまでもひとつの“読み”に過ぎませんから、ほかの解釈も参照してみることにしましょう。

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