ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.12.4


. 童話『谷』
ところが、「私」は家に帰ると、

「どうしてこんな古いきのこばかり取って来たんだ。」

と兄に言われて、理助に騙されたことに気づく★

★(注) ネットで調べてみましたところ、ホウキタケによく似たキノコは、たくさんあって、毒キノコもあるそうです。白くて、先がピンク色なのがホウキタケで、食用。賢治の言う“茶色いはぎぼだし”は、「古いきのこ」ではなくて、コガネホウキタケではないかと思います。コガネホウキタケは、食用にはならないそうです:画像ファイル・ホウキタケ

翌年の9月には、「私」は友達の藤原慶次郎☆と《谷》へリベンジに行く。今度は、白いホウキダケを沢山採った。

☆(注) 賢治が盛岡中学1年の時に寮で同室になった2年生藤原健次郎がモデルと思われます。賢治の健次郎宛て手紙が残っており、2人はいっしょに南昌山に登るなど親しかったと思われます。健次郎は翌年9月にチフスで病死しています。

二人がキノコを採っていると雨が降りだしたが、

「私と慶次郎とはだまって立ってぬれました。それでもうれしかったのです。」

2人の間には、この場所を二人だけの秘密にしようという暗黙の了解があるようで、慶次郎は、「私」の兄にも、この場所を教えたくないと言う。

雨が止んで陽が射したので、場所を見定めるために歩いてゆくと、やはり去年の《谷》の崖に行き当たる:

「私はにはかに面白くなって力一ぱい叫びました。
『ホウ、居たかぁ。』
『居たかぁ。』崖がこだまを返しました。
 〔…〕
『馬鹿。』私が少し大胆になって悪口をしました。
『馬鹿。』崖も悪口を返しました。
『馬鹿野郎』慶次郎が少し低く叫びました。

 ところがその返事はたゞごそごそごそっとつぶやくやうに聞えました。どうも手がつけられないと云ったやうにも又そんなやつらにいつまでも返事してゐられないなと自分ら同志で相談したやうにも聞えました。

 私どもは顔を見合せました。それから俄(には)かに恐くなって一緒に崖をはなれました。

 それから籠を持ってどんどん下りました。〔…〕雫(しづく)ですっかりぬればらや何かに引っかゝれながらなんにも云はずに私どもはどんどんどんどん遁(に)げました。遁げれば遁げるほどいよいよ恐くなったのです。うしろでハッハッハと笑ふやうな声もしたのです。

 ですから次の年はたうとう私たちは兄さんにも話して一緒にでかけたのです。」



↑↑これが『谷』という童話です。

しかし、童話とは言っても、何か恐ろしい、おぞましい風景が次々に現れます。

最初に書かれている《谷》の崖の描写からして、ふつうではありません。覗くと眩暈がするほど急で、「毒々しく」「まっ赤な火のやうな」色をしています。しかも、「古い熔岩流」の層が5本「ぎざぎざになって赤い土からはみ出して」いるのだといいます。
これは、じっさいの“鬼又沢”というガレ谷の景色でもあるのでしょうが、その描写は成熟した女陰を連想させないでしょうか。
モデルになった谷の“鬼又沢”という地名からして、“鬼の陰部”という意味ですよね?

その割れ目の底を覗いても、

「谷底には‥たゞ青い梢と白樺などの幹が短く見えるだけでした。」

「いつかの時代に裂けるか罅(わ)れるかしたのでせう。霧のあるときは谷の底はまっ白でなんにも見えませんでした。」

と描写されていて、「裂けるか罅れるかした」というおぞましさとともに、その内奥は秘密めかされています。

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