ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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《Li》 喪神の蒼いもや



【12】 谷





1.12.1


「有明」と同じ見開きの次のスケッチ「谷」はまた異様な情景ですが、
「有明」の1週間後:4月20日(木曜)の日付です:

. 春と修羅・初版本

01ひかりの澱[おり]
02三角ばたけのうしろ
03かれ草層の上で
04わたくしの見ましたのは
05顔いつぱいに赤い點うち
06硝子様(やう)鋼青のことばをつかつて
07しきりに歪み合ひながら
08何か相談をやつてゐた
09三人の妖女たちです




とりあえず、あまり深入りしないようにしながら、ひととおり読んでみましょうか。。。

題名の「谷」から考えて……早春(4月ですが、岩手はまだ早春です)の谷間に咲き出た草花(スプリング・エフェメラル☆)を描写しているのではないでしょうか。

☆(注) スプリング・エフェメラル:“春の妖精”。早春に地上に芽を出し、生長して開花・結実し、夏までには枯れてしまい、春以外の3つの季節は地下でのみ生存する多年生草本植物。カタクリ、シャガ、スミレ類などたくさんの種があります。

「三角ばたけのうしろ/かれ草層の上」

とありますから、人里離れた場所ではありません。山沿いの谷奥には、うち捨てられた小さな畑や田んぼがあるものです。

そうした休耕地の裏手で、

「顔いつぱいに赤い点うち」

と言うと‥:
ギトンは、ユリかシャガのような、花びらに斑点のある草花を考えます。
ユリのような目立つ野花が、3本かたまって咲いているのを見つけたのでしょう。

「硝子様鋼青のことばをつかつて…何か相談をやつてゐた」

「鋼青」は、賢治作品では、明け方や夕暮れの濃い藍色の空を指して、よく使われます。賢治は、この深い色の空が、ことのほか気に入っていたようです。

「硝子様鋼青のことば」とは、どんな言葉なのでしょうか?互いにぶつかり合ってカチャカチャ音を立てるような硬質の音のようです。
しかし、目に見える形は、青い文字かもしれません。かげろうのようにゆらゆら揺れる文字ではなく、楔形文字のような硬い角張った文字ではないでしょうか‥

一種異様なシニフィアンが、そのままシニフィエであるような“ことば”

それは、人間の身体の美しさや、容貌の魅惑、表情の媚びに似ていないでしょうか?

草花の美しさから人が受け取る“意味”も、そうしたものだとしたら、逆に、人は受け取った“意味”から、草花の“ことば”──言いたいこと、願い──を再構成するでしょう。

そうは言っても、けっきょく、
作者には、聞こえてくる言葉の意味──会話者たちにとっての意味──は分かりません。

ただその、赤い斑点のついた花たちが、硬い文字列を投げ合って、なにか相談をしている‥

なにやら怪しげな、よからぬ相談をしているのを目にしたと言うのみです。

谷間に陽ざしが差し込んだ「ひかりの澱(おり)」のなかで、ガラスやはがねの破片が、パチパチとはぜるように飛び交っているイメージですね。
人の来ない渓すじで見つけた・春先のそんな景色を詠んでいるのだと思います。

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