ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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【11】 有 明





1.11.1


「有明」の日付は、4月13日木曜日、「春光呪咀」の3日後です:

. 春と修羅・初版本

01起伏の雪は
02あかるい桃の漿(しる)をそそがれ
03青ぞらにとけのこる月は
04やさしく天に咽喉(のど)を鳴らし
05もいちど散乱のひかりを呑む
06 (波羅僧羯諦(ハラサムギヤテイ) 菩提(ボージコ) 薩婆訶(ソハカ))

前の2作の阿鼻叫喚とは打って変って、静かで美しい山稜の朝焼けです。

気になるのは、作者の立ち位置なのですが‥

季節から言って、もう花巻近くの低い山には、朝焼けに赤く映えるほどの積雪は残っていないと思われますし、勤務のある平日の朝だということを考慮すれば、作者が花巻から離れていることは考えにくいのです。したがって、この詩は、自宅近くから早池峰連山の冠雪を遠望したものにちがいない‥。つまり、「コバルト山地」と同じ展望で、季節が春に変っている。
まわりの事情からは、そう考えられるのですが…

この詩自体を読めば、作者は、厚く雪の載ったスロープにいるとしか思えないのです。作品「コバルト山地」とは視点が違います。遠くに見える冠雪の峰とは思えません。

作者の《立ち位置》は、「起伏の雪」の上です。



これを、どう理解するかですが‥
賢治の《心象スケッチ》は、必ずしも“現場スケッチ”ではないということを思い出してほしいと思います。
遠くに見える山々を、その山々の上に自分がいるかのように想像上で《立ち位置》を変えて眺め、描くことなどは、賢治にとってはきわめて容易な操作なのです。

また、後日、作品「林と思想」で見るように、賢治は、遠くに見える場所に、自分の「かんがへが‥流れて行つて」、あたかも自分が今そこにいるかのように感じることができるとも述べています:春と修羅・初版本

ともかく、いずれにしろ、作者は実際には北上平野の低地にいながら、そこから見える早池峰連山などの冠雪峰の朝焼けのようすを、あたかも山の上で目近かに見ているかのように描いているのだと考えます。

01起伏の雪は
02あかるい桃の漿(しる)をそそがれ

たったこれだけの短い表現ですが、一面の雪で厚く被われた・ゆるやかな起伏に、朝日が当たって、赤、紅、紫、灰赤など、さまざまな色彩が斑らに見え、しかもゆったりと流れるように動いているようすが、目に浮かび、わくわくするような心地です。

03青ぞらにとけのこる月は
04やさしく天に咽喉(のど)を鳴らし
05もいちど散乱のひかりを呑む

「有明」という題名から、日の出より前でしょうけれども、
もうだいぶ明るくなっていて、深青色の空に、欠けた白い月が残っています。

「桃のしるをそそがれ」にしろ、この「天にのどを鳴らし」にしろ、賢治は、聖性を讃美する場所で、しばしば食欲の表現を持ち出すのです。宗教的にそれがどういう意味を持つのかは、ギトンには分かりませんが、
縁遠い雲の上の話ではなしに、非常に感覚的で分かりやすいものになっていると思います。

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