ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
60ページ/114ページ



【10】 春光呪咀





1.10.1


「春光呪咀」は、作品「春と修羅」の2日後、1922年4月10日の日付です。

ちなみに、4月7日は金曜日で稗貫農学校の入学式。『注文の多い料理店』収録の童話「山男の四月」が、この日の日付。(賢さん、のんびり気分ですな‥ 画像ファイル:稗貫農学校(跡)

翌8日土曜日付が「春と修羅」。年譜によると、この春休み中に、賢治は、修学旅行に行かなかった生徒10人ほどを集めて最初の自作劇(かなり即興的なものだったと思われます。台本も無かったのか、残っていません)を練習し、旅行参加組の帰還を迎えて上演しています。休み中の非公式な活動だったので、校長や同僚の目を盗んでできたのかもしれません。
‥だとすると、新年度第1日の土曜日の朝に、佐藤勝治氏が想像しているような、賢治と校長の衝突があったことは考えられますね‥

校長「宮澤君、聞くところによると、休み中に生徒たちがなにか乱痴気騒ぎを起こしたとか‥旅行の引率から帰って来た○○君から羽田視学に報告があったというのだが‥。なんでも、君の姿を見かけたという郡職員もいるらしい」
(農学校は、すぐ隣の郡役場から丸見えでした)
宮澤「rrrr‥ら、ら、らァーンチキ騒ぎぃ?!‥と、と、と、とんでもありませぬ。なあ、そうだろう、堀籠さん?」
堀籠「‥‥‥(俯いて沈黙)」
校長「君に聞いているんだよ、宮澤君。葛郡長からもじきじきにお尋ねがあったんだが、ぼくは、君の釈明を聞いて穏便に済ましたいと思ってるんだ。」
宮澤「く、く、屑の‥、いや葛郡長なら、土性調査のときに泊めてもらったし、俺の親父と肝胆相照らす仲なんだぞ。そんなら、これから行って直談判してきてやる。強権も甚だしいじゃないか、そうだろう、なあ、白藤さん?」
白藤「‥‥‥(むっとして沈黙)」
校長「宮澤君、宮澤君、君はちったぁ大人になれんのか!先生方に迷惑じゃないか‥この会議だってこれから議題が山ほどあるんだ‥君の件で、われわれの貴重な時間が無駄になってるのが分からんかね‥」
宮澤「俺の件?‥無駄?!‥‥(しばし沈黙)‥‥ちょっと豚に餌やってきますっ」(プイと立って、そのまま外出 ‥‥いちめんのいちめんの諂曲模様だぁ〜‥‥)

そして、(日曜の動きは不明)10日月曜日が、この「春光呪咀」です。‥‥むしゃくしゃが尾を曳いているのは分かりますが。。。:

. 春と修羅・初版本

01いつたいそいつはなんのざまだ
02どういふことかわかつてゐるか
03髮がくろくてながく
04しんとくちをつぐむ
05ただそれつきりのことだ
06 春は草穂に呆(ぼう)け
07 うつくしさは消えるぞ
08  (ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)
09頬がうすあかく瞳の茶いろ
10ただそれつきりのことだ
11     (おおこのにがさ青さつめたさ)

まず題名ですが、「呪咀」は「呪詛」の誤植ではないと、イントロで予告しておいたと思います:いんとろ【6】《初版本》電子ブックについて
「咀」は、「咀嚼する」の「咀」、つまり、「歯で・かむ」という意味です。
そうすると、「呪咀」という賢治の造語は、「呪いながら噛むこと」、つまり、「春と修羅」にあった

「唾し はぎしりゆききする」

「はぎしり燃えてゆききする」

と、ほぼ同じ意味になります。
つまり、「春光呪咀」は、土曜日の「春と修羅」のスケッチだけでは足りず、
「修羅」の「いかりのにがさまた青さ」の内容を、詳しく表現して書いているのかもしれません☆

…「春と修羅」が長歌だとすれば、これは反歌なのでしょうか?

☆(注) イントロの文を書いたあとで、宮澤清六氏が1940年に筆名で書かれた「『春と修羅』への独白」の中で、このスケッチを『春日呪咀』の題名で7回引用しておられることを知りました。『春日呪咀』は、『春光呪咀』を《宮澤家本》で改題した題。ギトンの見込みが正しかったことを確認できて、嬉しい限りです。宮沢清六『兄のトランク』,pp.123-130.

たんに誰かを怨んで呪詛するというのでなく
「呪いながら歯ぎしりする」というのは、相手を怨むよりも、とにかく悔しくて悔しくてたまらないという気持ちの表れではないでしょうか?
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ