ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.9.17


「諂曲(てんごく)模様」の「諂」は、「へつらう」と読む字ですが、ゴマすりのイメージでしょうか?!‥それよりも、作者の念頭には、次の経典があるのだと思います:

「瞋地獄、貪餓鬼、癡畜生、諂曲修羅、喜天、平人也。於他面色法、六道共有之。」

〔怒るのは地獄界、貪るのは餓鬼界、愚かなのは畜生界、本心を曲げるのは修羅界、喜ぶのは天界、平穏なのは人界である。このように他の人の姿・形を見れば、六道がすべてある。〕(日蓮・撰『観心本尊抄』教学部、第一五番問答)

つまり、「諂曲模様」、あるいは「諂曲」とは、
本心を曲げて生きるのが“世のならい”となっているこの世のありさま、また、本心を曲げざるをえない若い同僚たち、そして作者自身の状況だと思います。

そうしたこの社会の不条理が、彼には悲しくて、我慢ならない‥理由もなく憤ってしまう‥ということだと思うのです。

その「諂曲模様」が、石炭紀の亡霊によって「打ち貫かれ」て吹っ飛んだ!‥という情景を、最初の原稿では書いていたのです。

そうすると、印刷の直前になって、この部分が大きく書き変えられた理由も、分かるような気がします。

作者は、こんな気休めのような“破壊”を頭の中でやっていても無意味だ、ということに気づいたのではないでしょうか?‥少し‘オトナ’になったのかもしれませんが、

それ以上に、
《初版本》の印刷に入った1923年末〜24年初め頃までには、“賢治先生”の型破りの教育が町で評判になり☆、校長も理解を示すようになって、学校をあげて学校劇の練習と上演に取り組むようになっていたからだと思います。

☆(注) 当時花巻で小学生だった佐藤勝治氏によれば、農学校のみならず、近くの花城小学校にまで‘学校劇熱’が広がり、小学校は人数が多いので、町の演芸場を借りて生徒の劇を上演したそうです。

そうすると‥ちょっと困ってしまうのは、推敲後の《初版本》32-34行目:

. 春と修羅・初版本

32  すべて二重の風景を
33 喪神の森の梢から
34ひらめいてとびたつからす

の解釈です。
上で見た改稿経緯から言うと、「喪神の森」は、「黒い木の群落」を指していることになるでしょう。

つまり、カラスは、この世の森ではなく、地質時代の森林の幽霊として出現した「黒い木の群落」の梢の先から、ピカッと光って飛び立ったのです。
カラスが異界の存在として登場していることは、もう明らかですね。

問題は、この「喪神」をどう解するかですが‥、やはり改稿前の意味を残して、
「陥りくらむ天の椀」の青白い太陽、そして黒々とした霊界の木の枝──風景としては、黒い森の梢の向こうに白い日が輝いているような情景を想像すればよいのではないでしょうか。。

上から‘天罰’を受けて「諂曲模様」が破壊されるという構図は無くなったのですが、

35(気層いよいよすみわたり
36 ひのきもしんと天に立つころ)

は、残されています。ともかく、空は晴れわたって、春らしい澄みきった青空が広がってきたのです。
そこで「農夫」の登場となるわけですが、ロボクの幽霊による“破壊”が無くなったために、改稿前よりも「農夫」の役割は大きくなったと思います。
この「農夫」の登場によって(その前に、気層が澄み渡って、登場にふさわしい舞台になっているのですが)、「修羅」の改悛(?)と、再生への序曲が引き出されているのです。

. 春と修羅・初版本

38草地の黄金をすぎてくるもの
39ことなくひとのかたちのもの
40けらをまとひおれを見るその農夫
41ほんたうにおれが見えるのか
42まばゆい気圏の海のそこに
43(かなしみは青々ふかく)
44ZYPRESSEN しづかにゆすれ
45鳥はまた青ぞらを截る
46(まことのことばはここになく
47 修羅のなみだはつちにふる)



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