ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.9.15


後年の文語詩ですが:

「『さびしや風のさなかにも
 鳥はその巣を繕はんに
 ひとはつれなく瞳(まみ)澄みて
 山のみ見る』ときみは云ふ

 あゝさにあらずかの青く
 かがやきわたす天にして
 まこと恋するひとびとの
 とはの園をば思へるを」☆

(「きみにならびて野にたてば」【下書稿(1)手入れ】(後半部分):『雨ニモマケズ手帳』より)

にあるような、いわば一歩下がった、しかしおそろしくスケールの大きな願いを、賢治は、自分の究極の無意識★と考えていたのかもしれないと思います。

★(注) そういう意味では、フロイトよりもむしろユングの“集合的無意識”のほうに、宮沢賢治の思想と通じるものがあるのではないかと、ギトンは考えています。
☆(注) しかし、それにしても「きみにならびて野にたてば」に表現された恋愛感情は、非常に薄いように感じられます。『冬のスケッチ』のような激しい情念の渦が、ここにはまったく感じられないのです。それは、この詩の契機となった恋愛の性質が違っていたのかもしれません(例えば、同性愛と‘異性愛’の相違?)。

さて、上記の一つながりの断片は、のちに↓次のような文語詩にまとめられています:

「  事務室
 九時六分のかけ時計
 その青じろき盤面(ダイアル)に
 にはかに雪の反射来て
 パンのかけらは床に落ち
 インクの雫かはきたり
 くしゃくしゃになれみふゆのケール
 しんとつぐめよさびしきくちびる」

(「会計課」【下書き稿(2)】)

チサがケールになっている以外は、『冬のスケッチ』の叙景とほぼ同じです。

「しんとつぐめよさびしきくちびる」

に注目してほしいと思います。ここではまだ、作者は、自分の恋に対する諦めの気持ちが強いのですが、

作品「春と修羅」のつぎに来る詩篇「春光呪咀」には、この「しんとつぐめよ」という言い方が、別の向きに出て来ますので、覚えておいていただきたいと思います。

. 春と修羅・初版本

27日輪青くかげろへば
28  修羅は樹林に交響し
29   陥りくらむ天の椀から
30    黒い木の群落が延び
31     その枝はかなしくしげり
32    すべて二重の風景を
33   喪神の森の梢から
34  ひらめいてとびたつからす
35  (気層いよいよすみわたり
36   ひのきもしんと天に立つころ)

さて、問題の多い部分ですが、30-34行は、最終的な《印刷用原稿》の段階で、かなり大きな改変をこうむっているのです。
推敲前の形は、↓こうでした(字下げは、まだ施される前です):

27日輪青くかげろへば
28修羅は樹林に交響し
29陥りくらむ天の椀から
29a(喪神はしづみまた燃え)→(その喪神の穹窿は燃え)
30燐光魯木の群落は延び→雲の魯木の群落が延び
31その枝はかなしくしげり
32風景もうちつらぬかれ
33×
34ひらめいてとびたつからす
34a(ほのぼのとなみだはゆする
35気層いよいよすみわたり
36ひのきもしんと天に立つころ)

れいの難解な33行目:「喪神の森の梢から」は、あとから挿入された行なのです!
そして、「喪神」を含む行は、当初の《印刷用原稿》では、29行目「陥りくらむ天の椀から」の次にあったのです。



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