ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.1.3


. 春と修羅・初版本
この日1月6日は、まだ冬休み中ですが、賢治は、おそらく学校の授業で使う教材を取材するために、小岩井農場の《耕耘部》☆へ赴いていたと考えられます:画像ファイル・地図

☆(注) 小岩井農場は、三菱・岩崎家の経営の下で、西洋式の近代農業を取り入れて運営していた・会社組織の大農場です。農場の組織は、牧馬部、耕耘部、……などに別れていて、広い農場のあちこちに、各部の事務所が散らばっていました。

したがって、小岩井駅の南にある「七つ森」は、北に向かって歩いている賢治の真後ろにあり、賢治の真正面には、(晴れていれば)岩手山、そして、その手前の「鞍掛山」も見えていたはずです。

北国に住む人には、言わなくても当然のことだから、敢えて書かないのだと思いますが、
賢治が歩いている農場への(あるいは農場の中の)路は、一面見渡す限りの雪原の中に、ほそぼそと続いているはずです。

「わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ」

とありますが、
雪が積もっているのは路だけではなくして、見渡す限り深い積雪と枯れ木しかない風景が広がっているのです。

背後の七つ森に日が当たって、輪郭がぼおっと浮き出て見えています(冬至から間近なので、日は昼間でも南に傾いています)。
透明な液体に満たされたような濃い空間に、遠くの七つ森が、まるで近くにあるように大きく光って見えます。

そのようすは、凍った路を行き惑う作者を、後ろからじっと見送るかのようです。作者は郷愁の想いに背を向けて、正面の岩手山方面にかかる雲を目指し、一心に足を運びます。
確信に満ちた足取りなどではなく、不安で不安でたまらないけれども、歩いていないと心細いので歩かざるを得ないような、急き立てられた歩みです。

「向ふの縮れた亜鉛の雲へ」

「縮れた亜鉛の雲」とは、単体の金属亜鉛ではなく、水酸化亜鉛の白いコロイド状沈殿物がイメージされているのだと思います: 画像ファイル・水酸化亜鉛

作者が目指す目標は、ふわふわと漂う曖昧な雲でしかないのです。それは、目標のない広い雪原を歩いている心細さにとどまらず、不確かな人生行路に向けられた作者の不安を表現しています★

★(注) 小沢俊郎『薄明穹を行く』,1976,学芸書林,pp.42-43.参照。なお、この「縮れた亜鉛の雲」は、最終【第8章】の【76】「雲とはんのき」で、「北ぞらのちぢれ羊」として再現し、この詩集全体の構想にかかわる重要な象徴の意味を帯びてくるのですが、それについては、今はまだ触れないでおきたいと思います。




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