ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.9.5


. 春と修羅・初版本

32  すべて二重の風景を
33 喪神の森の梢から
34ひらめいてとびたつからす
35(気層いよいよすみわたり
36 ひのきもしんと天に立つころ)

「閃(ひらめ)いて」は、烏がぴかっと光って飛び立ったということでしょうから、
「…風景を」の「を」は、目的格ではなく、「街道を行く」などと同じく、場所を表しています。

さて、この「二重の風景」が問題です。さきほどの「まことのことば」のような不確定概念とは違って、「二重の風景」は叙景を示す言葉ですから、確定した意味内容があるはずです。「二重の風景」が曖昧なままでは、ここに描かれた風景すべてが、ぼんやりした曖昧なものになってしまいます‥

「二重の風景」の意味内容は、この32行目までに書かれている中に、示されているはずです。

そういう前提で見ていきますと、

さきほど来説明している“天上”と“地上”の関係──天の世界の“上”が、われわれの世界から見た“下”になっているという“逆さま”の関係、地上の世界から伸びて行く“ツィプレッセン”(あとで説明しますが、じつはヒノキです)に対応して、天の世界から「黒い木」が逆さまに伸びてくる関係、──こうした、われわれの世界と“異界”との“二重の関係”を、「二重の風景」と言っているのではないでしょうか…

われわれには“異界”は見えませんから、「二重の風景」には気がつかないのですが、「修羅」には「二重の風景」が見えるのです。。。

ところで、誤解しやすい点ですが、「修羅」は「二重の風景」を悲しんで涙を流しているのかというと、必ずしもそうは書いてありません。
むしろ、天上から伸びて来た「黒い木の群落」は、「修羅」の気持ちに同調して哀しくそよいでいるのかもしれないのです!「二重の風景」は、「修羅」にとっては、自分もその一部であるところの霊世界──“異界こそわが故郷”かもしれないのです!!

「喪神(そうしん)」も、問題のある“賢治語”です。とりあえず、ここでは、

「喪神のしろいかがみが
 薬師火口のいただきにかかり」
「鎔岩流」

から、雲におおわれて翳った白い太陽と解しておきます。

「閃いて飛び立つカラス」

カラスに限らず、鳥は、日本やその周辺の古い信仰では、異界との間を往来すると考えられています。死者の霊を運ぶとか、死者の霊が鳥の姿になって異界へ渡って行くとか…:. 鳥信仰
現在でも、タイのある地方では、鳥に扮装した人たちが、船の形をした霊柩車を漕いで行く葬儀があるそうです。
神社にある“鳥居”は、もともと、異界と連絡する使者である鳥が到着するポートとして造られたという説があります。朝鮮半島で鳥居に当たる“ソト”という横木には、木で作った小鳥が載せられています。





「二重の風景」の中を飛び立って行く黒い鳥──カラスは、異界との往き来を表していないでしょうか?

日が雲に隠されたのをきっかけにして、青く陰った風景の中で、異界の姿が現出し、
異界との通路が開けたことによって、この世界が聖化されたのでしょうか:

35(気層いよいよすみわたり
36 ひのきもしんと天に立つころ)

「気層いよいよすみわたり」、地上のヒノキ(ツィプレッセン)の列は、季節を体現して、天に向かって「しんと」立ちます。

ちぎれて飛んでいた雲は、すっかり見えなくなり、いま、空は晴れ上がっています。

38草地の黄金[きん]をすぎてくるもの
39ことなくひとのかたちのもの
40けらをまとひおれを見るその農夫
41ほんたうにおれが見えるのか


「草地の黄金」は、黄色い枯れ草のようにも思われますが、
もう春ですから(この詩の日付は4月8日)、すでに青々と萌え出た青草の草地なのですが、「いかり」に燃えた「修羅」の目には「黄金(きん)」いろに見えるのです(『冬のスケッチ』関係の草稿から、そう言えます。詳細はあとで)

しかし、その“金色”は、神々しい高貴な世界の色でもあります☆

☆(注) 仏教では、“金色”は非常に高貴な色なのだと思います。仏像も天蓋も寺院の甍も、何もかも金色に塗りますよね?日本では、貴族の屋敷だろうと江戸城だろうと天皇の御所だろうと、決して金色にはしないのに、寺院だけは、どんな田舎のお寺でも仏像に金箔を貼ります。ギトンは、ある冤罪で投獄された政治犯の方から、お経を1万回声を出して読み終えた時に、独房の天井も壁も床も金色に輝き始めたという話を聞いたことがあります。おそらく、宮澤賢治も、「黄金」という色は、特別の意味があって使っていることが多いのではないかと思うのです。

「農夫」は、この詩に登場する2人目の人物です。ひとりめは「おれ」(修羅)、ふたりめが、この「農夫」です。だから、この4行は重要です。

‥異界からやって来たのでしょうか、
人間の形をしたものが、黄金(きん)に輝く草地を渡ってこちらへ進んで来ます。
見れば、「けら」をまとった農夫の姿をしています。
《農夫》は、じっと「修羅」を見ているのですが、やがて通り過ぎて行ってしまいます。

「ことなくひとのかたちのもの」──つまり、人のかたちをした《もの》は、修羅のような異形のものではないが、かといって中身まで人間なのかどうかは分かりません。

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