ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.8.5


. 春と修羅・初版本

01けふはぼくのたましひは疾み
02烏(からす)さへ正視ができない
03 あいつはちやうどいまごろから
04 つめたい青銅(ブロンヅ)の病室で
05 透明薔薇の火に燃される
06ほんたうに、けれども妹よ
07けふはぼくもあんまりひどいから
08やなぎの花もとらない

それでは、後半6-8行目を検討しておきたいと思います。
6-8行目に対応する『冬のスケッチ』断片は:

「 ※
2あまりにも
 こゝろいたみたれば
 いもうとよ
 やなぎの花も
 けふはとらぬぞ。

  ※
3凍りしく
 ゆきのなかからやせたおほばこの黄いろの
 穂がみな北に向いてならんでゐます。
  ※
4杉ばやし
 けはしきゆきのがけをよぢ
 こゝろのくるしさに
 なみだながせり。
  ※」
(『冬のスケッチ』,37葉)

「やなぎ」ですが、ヤナギにはさまざまな種類があって、ポプラやドロノキのように枝がまっすぐ上へ伸びるものもあり、ネコヤナギのような背の低い灌木もあります。
関東以西で、普通の人がイメージする柳は、シダレヤナギですが、宮澤賢治は、必ずしもそうではなかったと思います。シダレヤナギは中国原産の植栽樹で、日本では自然に生える木ではないのです。
賢治は、シダレヤナギを指すときには「バビロンの柳」と書いています。Salix babylonica がシダレヤナギの学名だからです。

ここで、賢治が採りに行った「やなぎの花」は、ネコヤナギの類ではないかと思います。というのは、東北でシダレヤナギが咲く季節は、3月中ではなく、もっと遅いのではないかと思うからです☆

☆(注) 賢治は、「けふは‥やなぎの花もとらない」「やなぎの花も/けふはとらぬぞ」と書いていて、作品日付の3月20日よりも前から、「やなぎの花」を採りに行っていたことが分かります。シダレヤナギの花期は、図鑑やネットサイトを見ると、「3〜4月」と「4〜5月」の2通りの記載がありました。おそらく基準とする地方が違うのだと思います。賢治の詩で見ると、岩手県では桜の開花が5月初めのようです(温暖化した現在は、もっと早いかもしれません)。したがって、シダレヤナギの開花も、4月以後だったろうと思うのです。

春先には、大小の河川の水辺で、灌木ヤナギ類の小さな枝が、真っ先に軟らかい綿毛のような花を付けます。ネコヤナギは、その代表的なものです:画像ファイル・ネコヤナギ
ヤナギ属は、折れた枝から根を出して定着する性質があるので、
自然の河川では、洪水で流された大量の枝が水際に堆積して、春になるといっせいに芽吹くのです。

佐藤氏は、この「やなぎの花」の場所も、花巻城址周辺と推定されていますが、この断片だけでは場所は特定できないと思います。むしろ、自宅から朝の散策がてら「やなぎの花」を採りに行ったとすれば、ネコヤナギの多い河川敷、たとえば豊沢川の河原のほうが候補として有力ではないでしょうか★

★(注) もっとも、第4章の「杉ばやし‥のがけ」は、城址に昇って行く斜面の状況にも一致します。







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