ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.8.3


したがって、各篇の意味を掘り下げて読み取るためには、作品の舞台や作者の‘来し方’を知っていたほうが圧倒的に有利です★
そこまで要求できないとしても、読者としては、もう少し詩の背景を説明して欲しいと言いたくなりますw
しかし、短い詩作品の中で、具体的な状況や意味を、説明しつくすのは無理なことですから、
賢治は、これでは説明が足りないと思ったときには、意識してヒントになるタイトルを付けていたのではないかと思うのです。

★(注) 小沢俊郎氏の論考「秋雨に聖く」は、文語詩「青柳教諭を送る」の「送る」が意味する内容を、作者・関係者の事実関係に踏み込んで追求した結果、一連の《青柳教諭》関係詩の解釈を根底から覆すことになった労作です(小沢俊郎『薄明穹を行く』,pp.235-260.)この「送る」は、小沢氏の調査より以前には、“野辺送り”つまり急死した青柳教諭の葬儀と思われていました。宮沢賢治の『年譜』にも、そう書かれていたほどです。しかし、調査の結果、青柳氏は、盛岡中学教諭(嘱託)を退職したあと、台北中学校、貿易会社、南満州鉄道などに勤務し、最後は東満鉄道常務取締役を務めた実業家であること、「送る」は、退職する先生の送別会にすぎないことが、判明したのです。調査当初には、“聖なる非戦論者・青柳教諭の急死”を信じていた小沢氏は、「真相は思いがけない逆転だった」と書いていますw 賢治詩の・このような特質に対して、作品外の事実関係まで援用しなければ解釈できないような詩は、文学作品として不完全だと批判する学者もいます。しかし、もし賢治自身がそれを聞いたとしたら、「これは詩でも文学でもなく、科学的に正確な心象のスケツチです」と言って嘲笑うことでしょう。

そこで、この詩のタイトル「恋と病熱」ですが…

「病熱」は明らかに妹の病熱です。賢治のほうは身体的に病体ではないことは明らかでしょう。
「恋」は、どうでしょうか。「恋」が、賢治の「恋」だとしたら、妹に対する「恋」でないことは明らかだとギトンは思います。

“恋人に対する恋愛感情があまりにも深いので、
恋人が心から欲しがっているネコヤナギの枝を持って行ってあげることができない”
──などということがありうるでしょうか?!
ギトンは、ありえないと思います。

「恋」は、妹以外の第三者に対するものでなければ、この詩は成り立ちません。

‘魂が疾(や)んでいる’
‘烏を真っ直ぐに見ることもできない’

という哀訴からは、この「恋」が、

 何か後ろ暗いもの、
 ‘正常’でないもの、
 他人に告白できないようなもの

であることが考えられます。


妹に対する

「透明薔薇の火に燃される」

. 春と修羅・初版本

という表現は、重疾に苦しむ姿(じっさいには、血へどを吐いたり呻いたり、怪物のような鼾をかいたりしたはずです)を描くのにさえ、清らかに美しく描かないではいられない心理を表しています。
つまり、自分は、他人にも言えないような後ろ暗い「恋」をしているという自覚があるからこそ、
そんな自分を信頼し続けている☆妹は、天使のように清らかな存在でなければならなかったのです。

☆(注) 宮澤家の家族の中で賢治の日蓮宗に改宗したのは、トシ子ただひとりでした(トシ子の遺骨は、静岡県三保の国柱会霊廟に分骨されました。現在、東京の国柱会本部には、トシ子と賢治の墓所があります)。そのことだけを考えても、トシ子が、兄としての賢治を、いかに堅く信頼していたかが分かるというものです。

作者が苦しんでいる「恋」は、同性愛だった可能性が高いのです。

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