ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.7.5



にはかにも立ち止まり
 二つの耳に二つの手をあて
 電線のうなりを聞きすます。

  ※
2そのとき桐の木みなたちあがり
 星なきそらにいのりたり。
  ※
3みなみ風なのに
 こんなにするどくはりがねを鳴らすのは
 どこかで空で
 氷のかけらをくぐって来たのにちがひない
  ※
4瀬川橋と朝日橋との間のどてで
 このあけがた
 ちぎれるばかりに叫んでいた、
 電信ばしら。
  ※
5風つめたくて
 北上も、とぎれとぎれに流れたり
 みなみぞら」
(『冬のスケッチ』,16葉)

紙葉の最初の行に「※」が無いのは、第1章が、前の紙葉から続いているからと考えてよいでしょう☆
したがって、「にはかにも立ち止まり」の前に、誰がどうして立ち止まった‥‥といったことが書いてあった可能性があるのですが、残念ながら、前の紙葉は失われています。

☆(注) 『冬のスケッチ』全49枚のうち、初行が「※」のもの12枚に対し、終行が「※」のものは4枚です。『新校本全集・第1巻・校異篇』p.155.

第4章に「このあけがた」とありますから、今度は早朝の散策です。
しかし、第2章に「星なきそらに」とありますから、夜が明ける前で、まだ真っ暗です。賢治は、こんな時間に散歩をするんですねw
第4章の「瀬川橋と朝日橋」は、北上川の支流瀬川と、北上川にかかっている橋です。佐藤氏によると、瀬川が北上川に合流する河口の近くにかかっていて、瀬川橋からそのまま朝日橋に続いていたそうです★

★(注) 佐藤勝治『“冬のスケッチ”研究』,増訂版,pp.6,48,50. なお、現在は河川改修で瀬川の流路が変っているので瀬川橋はありません。

当時の国土地理院地形図を見ると、この付近で高圧送電線が北上川を横断していますから、第1章の「電線のうなり」は、相当すごい音がしていたでしょう。「みなみ風なのに/こんなにするどくはりがねを鳴らすのは」(第3章) 「ちぎれるばかりに叫んでいた、/電信ばしら」(第4章)と言っているのももっともです。

「みなみ風」(第3章) 「みなみぞら」(第5章)──と、しきりに「南」を気にしているようです。南にいる誰かのことが気になるのでしょうか?‥
1918年、退学処分を受けた保阪嘉内と大沢温泉で悲憤の酒を酌み交わした思い出を詠んだ文語詩「対酌」では:文語詩・対酌

「ああなんぞ 南の鳥を
 ここにして 悲しましむる」

と、「南の鳥」という表現で保阪を指しています。
1921-22年の『冬のスケッチ』でも、たとえ名指しはなくとも、賢治は、南の地で生きようともがいている保阪嘉内のことが、もっとも強く念頭にあるのだと思います。

「そのとき桐の木みなたちあがり
 星なきそらにいのりたり。」

祈りの対象は、畏友であり、かつては恋人であった保阪の幸いであったと思います。

「こんなにするどくはりがねを鳴らすのは
 どこかで空で
 氷のかけらをくぐって来たのにちがひない」

「ちぎれるばかりに叫んでいた、
 電信ばしら。」

「風つめたくて
 北上も、とぎれとぎれに流れたり」

保阪のことを思えば、また、保阪に最後まで寄り添えなかった自分のふがいなさを思えば、作者は身がちぎれるばかりに叫び出したい衝動をこらえているのだと思います。

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