ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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《H》 雪の野原から



【1】 屈折率





1.1.1


それでは、最初のスケッチ「屈折率」から始めます:

. 春と修羅・初版本 ←ブック画面の上半分が空いているのは、縦書きの初版本で右側のページが空白だからです。

とりあえず、先のほうのページへ、パラパラとめくってもらえるとよいのですが、(携帯は、数字キーの # を入力すると、ページが送られます。)
この詩集は、各スケッチが作品日付☆の時系列で並んでいて、…厳冬の1月から始まって、次第に春になって行く様子が……北国の息急くような春の到来が、めまぐるしいまでに展開して行きます。

☆(注) 宮沢賢治が詩に付けていた作品日付は、‘心象スケッチ’の日付、つまり、詩を着想したり、スケッチを最初にメモした日付と思われます。なお、《初版本》では、作品日付は、まとめて巻末の目次に記されています。

「屈折率」で、作者は、雪が積もってでこぼこに凍った路を、前方の山にかかった雪雲を目標に、せかせかと急いでいます。

道の雪が、でこぼこに固まって氷のようになっているのは、おおぜいの人が歩いたからです。でこぼこ道は滑って歩きにくいですが、気持ちは楽です。先に歩いたおおぜい人の足跡を踏んでいるからです。作者は孤独なようでいて、決して孤独ではないのです。




「七つ森のこっちのひとつが
 水の中よりももつと明るく
 そしてたいへん巨きいのに」

「七つ森」は、盛岡から田沢湖線(秋田新幹線)で西へ行くと、小岩井駅の南側にある7つの丘の総称です。現在は、《七つ森・森林公園》として、《イーハトーブの風景地》に指定されています:画像ファイル・地図 画像ファイル・七ツ森

この日、賢治は、小岩井駅から、北方にある《小岩井農場》へ向かって歩いていたと考えられます。次の作品「くらかけの雪」や、5月に再訪した際に長詩「小岩井農場」に記された回想から、推定されます。

歩いていて、ふと後ろを振り返ると、「七つ森」の近いほうの一つに日が当たり☆、薄暗い曇天の雪景色の中で、そこだけが妙に明るく、そしてたいへんに大きく見えます。

対照的に、作者の周りの空気は、どんよりと濃密で、まるで深い海の底のようです★。作者は、海の底から見上げるように、その「七つ森」の一つの巨大な像を、しばらく眺めていました。

作者の脳裏に「屈折率」という言葉が浮かびます。凍った雪の融解熱で冷え込んだ地表の空気は、上空の暖かい空気よりも濃密で、屈折率は大きいはずだ。大気の逆転層がレンズの役割をして、《七ツ森》のこっち端の三手森(みてのもり)が、こんなに大きく見えるのだろうか?‥

目を凝らせば、ちょうど雲の切れ目から指す陽の光が、プリズムで分光されたようにきらきらと輝いて見えます。

雲の裂け目を通過した
「光線はいよいよ不思議にゆがんで屈折し、ギラギラ輝いて無数の色に分散し、その辺がまるで躍り上るように見えて来た。」

☆(注) 現地へ行った結果報告ですが、まず、このスケッチの場所は小岩井駅から北東へ少し歩いた大清水付近(駅から来た道と旧網張街道の交差点近く)のようです。しかし、《七ツ森》は橋場線(現・田沢湖線)の南側ですから、ここからではあまりよく見えません。《七ツ森》東端の三手森の一部が小さく見える程度です。それよりも、線路の北側にある丘(長森、沼返山)が大きく見えます。形も高さも《七ツ森》とよく似た丘です。宮沢賢治は、《七ツ森》の範囲に関しては大ざっぱに考えていて、これらのどちらかを「こっちのひとつ」と言っているのではないでしょうか。そうだとすると、方向は西よりですから、午前中ならば日が当たってよく見えます。

★(注) 「小岩井農場・パート1」では、賢治は、この1月6日の農場訪問を回想して、「ほんたうにこのみちをこの前行くときは/空気がひどく[稠]密で/つめたくそして明るすぎた」(101-103行)と書いています。

◇(注) 宮沢清六『兄のトランク』,1991,ちくま文庫,p.101. また:「今や太陽光線の屈折は最高点に達し、その不思議極まるスペクトルの作用は怪奇を極め、煌めく無数の虹はその辺を此の世のものとは思えない程に照らし、彼も全く躍り上る様である。」(p.105) 令弟清六氏の鑑賞文は、生前の宮澤賢治から直接、作品のもとになった体験を聞いていた可能性があるので、特別に注意を払うに価すると思います。
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