ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.7.3


しかし、それにしても、なぜそんなことをするのだろう‥盗みをして逃走中に、のんきなことだわい‥という疑問は起きます。しかも、

「オルゴールを聽く」

───うっとりと聴く、あるいは、かすかな美しい音を聞き逃すまいとして、じっと耳を澄まして聴く、という感じではないでしょうか?

送電線や、電信柱の電線は、非常に遠くから繋がっているものです。
目には見えない遠い世界の話し声や振動を伝えてくるものではないでしょうか?

作者はここで、遠い世界にいる誰かの声を聴こうとしているのだと思うのです‥

そう解釈できる根拠、また、それは誰なのか‥?
説明するためには、少し遠回りをして来ないとなりません……




『冬のスケッチ』断片の中に、作品「ぬすびと」のもとになったと思われる部分があります。

と言っても、ほんとうに断片的な語句ですが、↓↓以下、該当部分を太字にして引用してみます:

「 ※
2外套を着て
 家を出ましたら
 カニスマゾアばかり
 きれぎれのくろくもの
 中から光つて居りました。
  ※
3黒くもの下から
 少しの星座があらはれ 橋のらんかんの夢、
 そこを急いでで その黒装束の
 脚の長い旅人
が行き
 遠くで川千鳥が鳴きました。
  ※
4そら中にくろくもが立ち
 西のわづかのくれのこり
 銀の散乱の光をみれば
 にはかにむねがをどります。」

(『冬のスケッチ』,32葉)

↑各章☆の頭についている章番号は、ギトンが加えたもの。つまり、この引用は、紙片第32葉から、最初の部分を省略して出しています。以下の引用では、とくに断りません。

☆(注) 『冬のスケッチ』は、作者の残した草稿の中から発見された49枚のばらばらの紙葉から成っています。「冬のスケッチ(4)」「冬のスケッチ(5)」という題名を書いた紙葉があるので『冬のスケッチ』と呼ばれているのですが、散逸してなくなってしまった紙葉が多いのではないかと思われます。各紙葉の続き順序は推定しかできませんし、推定で並べてみると、どうしても隣接する紙葉の見つからないものが、かなりあるのです。書かれた時期は、1921年12月〜1922年4月という説(佐藤勝治『“冬のスケッチ”研究』)と、1921年12月〜1923年3月という説(『新校本全集・第1巻・校異篇』)が有力です。各紙葉には、「※」を区切りにして、幾つかの短い非定型の韻文が書かれています。紙葉ごとに、「※」で区切られたまとまりを、“第1章”“第2章”…と呼ぶ習慣ですので、ギトンもこれに従います。

第4章に、

「西のわづかのくれのこり」

とありますから、日没からそれほど時間の経っていない夜であることが分かります。

「外套を着て
 家を出ましたら」

とあるのは、なにか用事があって外出したのではなく、あてもなく町と郊外を散策して、思索と《スケッチ》に耽る趣向のようです。賢治は、夜中や明け方に、ふらふらと、このような外出をする習慣があったようですw
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