ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
26ページ/114ページ



《He》 さかなのねがひ




【7】 ぬすびと





1.7.1


「ぬすびと」の作品日付は3月2日で、「コバルト山地」から1ヶ月以上たっています。「屈折率」から「コバルト山地」までの“雪原シリーズ”は終って、次のスケッチ群に入ったと思っていいのではないでしょうか:
春と修羅・初版本

01青じろい骸骨星座のよあけがた
02凍えた泥の亂反射をわたり
03店さきにひとつ置かれた
04提婆のかめをぬすんだもの
05にはかにもその長く黒い脚をやめ
06二つの耳に二つの手をあて
07電線のオルゴールを聽く

まず、「青じろい骸骨星座のよあけがた」という1行目ですが:

「明け方、薄明の空に一、二等級の輝星だけが消え残って、星座を構成している主要部分、即ち、星座の骨組みばかりが残っていると見て、星座の骸骨、つまり骸骨星座を連想したものと考えられる。」

(草下英明『宮沢賢治と星』,1974,学藝書林,p.145.)

↑この解釈で、異論の余地はないと思います(^^)。つまり、このスケッチの時刻は夜明けで、あたりはもう薄明るく、薄青い景色になっていて、空には、残ったわずかな星が瞬いているだけです。

2行目:「凍えた泥の亂反射」:あとで説明しますが、スケッチの場所は、花巻の豊沢町にあった宮澤家(作者の実家)の前の道路。奥州街道で国道ですが、まだ自動車も走っていない当時は、城下町の狭い未舗装の街路だったと思われます。
しかし、送電線の電柱と電信柱が並んでいて、電気の街燈もありました。:⇒画像ファイル:豊沢町

冬の間、おそらく2メートル以上積もっていた雪ももうだいぶ溶けて、泥と雪が固まった硬い氷のようなでこぼこ道になっています。その道のでこぼこが、街燈の光を反射しているのでしょう。

「亂反射をわたり」とありますが、誰かが、抜き足、さし足、でこぼこに凍った道を渡って、店先に近づいて行きます。

宮澤家は、賢治の父が古着商(実質は質屋)の店を開いていて、店先には、大きな陶器の甕が置いてあったそうです。もちろん、まだ明け方ですから、店は閉まっています。

「店さきにひとつ置かれた/提婆のかめ」──いかにも、店先にひとつだけ、忘れられたようにぽつんと置かれて寂しそうにしている甕のようすが分かります‥

「提婆(だいば)」ですが、仏教には「提婆」と呼ばれる人物が2人います:

@提婆達多(だいばだった、デーヴァダッタ Devadatta)のこと。シャカの従兄弟で、弟子でしたが、シャカ教団よりも戒律の厳しい教団を作って分派。シャカを暗殺しようとして、逆襲され、生きたまま無間地獄に落とされたとされます☆

☆(注) 仏教では一般に、デーヴァダッタは、極悪人だと言われているのですが(7世紀のインドを訪れた玄奘三蔵法師は、デーヴァダッタが地獄堕ちした穴が残されていると書いています〔大唐西域記〕)、じつは、『法華経』では全く扱いが違うのです(提婆達多品第十二)。シャカ仏は、「諸菩薩及び天人四衆」の前で、自分は「過去無量劫中」常に国王となり、倦むことなく法華経を求めたが、あるとき仙人が来て、「我れ大乗を有(たも)てり、妙法蓮華経と名づく」と告げたので、「歓喜踊躍し」ただちにその仙人の奴隷になって一千年間仕えた、と語ります。そして、奴隷になって仕えた国王とは、自分にほかならないし、その時の仙人とは、まさに今のデーヴァダッタである。自分が六波羅蜜の行を完成して仏となり、神通力と、人々を救う力を得たのも、みなデーヴァダッタのおかげなのだ、と会衆に告げ、デーヴァダッタは未来において「デーヴァ=ラージャ(天王如来)」という仏になる、と予言しました(『法華経(中)』,岩波文庫,pp.204-213)。日本の仏教では、この“未来仏・提婆達多”を、“悪人も成仏する”例として取り上げるようですが(日蓮など)、じっさいに『法華経』を読んでみると、悪人成仏どころか、デーヴァダッタは釈迦の教師にして大恩人‥と言わざるをえません。ちなみに、『釈迦』という日本の映画では、勝新太郎がデーヴァダッタを演じたそうです。もし‘悪人’としても、一目も二目も置かざるをえない大人物なのでしょうね。

A提婆(アーリヤデーヴァ A~ryadeva):3世紀頃のインド大乗仏教哲学者で、竜樹(ナーガールジュナ)の弟子。破邪を強調し、激しく小乗や外道(仏教以外の宗教,哲学)を批判したため,ついには外道によって斬殺されたという。

@のほうが圧倒的に有名ですから、この詩の解釈としては、みな疑いもなく@に解しているようです。しかし、@もAも、厳しすぎる主張をして身を亡ぼしたという点は同じなので、どちらでも大差はないんじゃないかと、ギトンは思いますw



.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ