ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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【6】 コバルト山地





1.6.1


「コバルト山地」の日付は1月22日 (日曜)で、『水仙月の四日』(1922.1.19.)の3日後です。
日曜の朝早く、花巻から早池峰連山を望んだ風景です。

春と修羅・初版本

01コバルト山地の氷霧のなかで
02あやしい朝の火が燃ゐてゐます
03毛無森(けなしのもり)のきり跡あたりの見當です
04たしかにせいしんてきの白い火が
05水より強くどしどしどしどし燃えてゐます

3行目の「毛無森」は、早池峰山塊の峰のひとつで、標高1427m。“毛無森”または“毛無森山”という山は、全国で岩手県にだけ6ヶ所☆あるそうです(『日本山名事典』)。盛岡市内、岩泉町(北上山地北部)にもあります。しかし、ここでは、描かれた情景などから判断して、花巻からよく見える早池峰山塊の毛無森にまちがいなさそうです:早池峰山塊

☆(注) 毛無森の“けなし”はアイヌ語で木がたくさんという意味だそうです。“もり”は、狼森(おいのもり)、七つ森、“もりおか”などと同じく、山や丘を意味する方言古語。関東の“むれ”“むろ”(大室山など)も同語源。韓国語に □⊥| moy (山) という古い言葉がありますから、“もり”は弥生語でしょう。北海道には“毛無山”はありますが“毛無森”はありませんから。縄文語の“けなし”と弥生語の“もり”がドッキングした“毛無森”という地名が、縄文と弥生の最後の“決戦地”だった岩手県に多いのは、うなづける話だと思います。

花巻から見ると、南から北へ、薬師岳、早池峰山、鶏頭山、毛無森の順に並んでいます。

「きりあと」は、毛無森のてっぺんの・木が生えていない平らな頂上部を云っているのでしょうか? 毛無森
それとも、たまたま1922年ころには、中腹斜面に、大きな伐採跡があったのでしょうか‥

毛無森は、花巻からは東側に見えますから、「白い火」は、おそらく昇ったばかりの太陽でしょう。「氷霧」──薄い霧★に被われています。

しかしそれは、「あやしい」「精神的の」「水より強く」燃える火なのであり、身体の奥底から冷たく燃え上がる、あるいは熱水のように噴き出て来るエロスの衝動なのです。

氷結した霧のような冷たいヴェールに閉ざされながら、鼓動を打って沸き上がりあふれ出るリビドーの情念は、まもなく、この雪に閉ざされた人々と生き物たちを目覚めさせることでしょう‥

★(注) 「氷霧」は、霧を構成する水滴が氷結する現象を言いますが、じっさいには、気温が零下でも、小さな水滴は氷結しません。「氷霧」が発生するのは、零下30℃以下ですから、本州の平地では決して起きない現象です。賢治は、しばしば「氷霧」という言葉を使いますが、じっさいは単なる冷たい霧にすぎないのです。

その「コバルト山地」ですが、“北上山地”といった漠然としたことではなく、早池峰山塊を指していると思います。
なぜ「コバルト」なのかですが、‥塩化コバルト CoCl2 などの色から、‘青い山’と見る解釈が多いようです。しかし、ギトンは、朝日の桃色だと思います:塩化コバルト
塩化コバルトは、乾燥剤のシリカゲルに入っている青い粒に含まれています(最近は、コバルトフリーのシリカゲルもあるようですが)
塩化コバルトは、乾燥した無水物の状態では深い青ですが、水と化合すると→紫→ピンク→赤 と、色を変えて行くのです。それで、塩化コバルト紙は晴雨計(湿度計)としても使われます。

賢治は、冠雪した毛無森の・ゆるやかな頂きが、未明の深い青から→紫→ピンクに変って行くようすを、「コバルト山地」と表現したのではないでしょうか。

次第に紅みを増して行く山頂を眺めていると、身体の奥から起こってくる「どしどしどしどし」と炊かれるような衝動……
それは、春の予感して沸き立つ“阿修羅の魂”であるはずです。






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