ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.3.2


ともかく、吹雪そのものが描かれないで、風の中で光る雪の粒や、原色の防寒具が描かれることによって、
「水仙月の四日」のような・恐ろしい吹雪のイメージよりも、緊張の中に楽しささえ感じられます。

このように、まるで吹雪を歓迎するような詩を作者が書いた意味は、なんとなく分かります。

「屈折率」では、作者は、凍った雪道をとぼとぼと歩いていました。

「くらかけの雪」では、日に照らされて溶け出した雪は、ぽしゃぽしゃして頼りない。おぼろな乳状の吹雪でも、まだそのほうがよい、と言って、雲の下に見える鞍掛尾根の雪をめざしていました。

長詩「小岩井農場」で見ると:

41こヽいらの匂のいヽふぶきのなかで
42なにとはなしに聖いこころもちがして

(パート九)

42あのときはきらきらする雪の移動のなかを
 〔…〕
44往つたりきたりなんべんしたかわからない

(パート四)

となっていて、さらにそれ以上の峻烈な吹雪を期待しているかのようです。

乳状の「酵母」は、母性の無限抱擁を渇望するものでしょう。
それに対して、より峻烈で輝かしいものを求める衝動が、しだいに勝ってきているのです。

それが、作者の中では、保阪との思い出、また同性愛的エロスと結びついていることはまちがえないでしょう‥




そういえば、「水仙月の四日」では、吹雪になる前の晴れている時に、

雪童子が、雪の中を急ぐ少年にヤドリギの枝を投げてやり、少年がそれを拾って、しっかりと持って歩いてゆく場面があります:

「その山裾の細い雪みちを、さつきの赤毛布(あかけつと)を着た子供が、一しんに山のうちの方へ急いでゐるのでした。

 〔…〕雪童子はわらひながら、手にもつてゐたやどりぎの枝を、ぷいつとこどもになげつけました。枝はまるで弾丸のやうにまつすぐに飛んで行つて、たしかに子供の目の前に落ちました。

 子供はびつくりして枝をひろつて、きよろきよろあちこちを見まはしてゐます。雪童子はわらつて革むちを一つひゆうと鳴らしました。
    〔…〕
 子どもは、やどりぎの枝をもつて、一生けん命にあるきだしました。」
水仙月の四日(青空文庫)

ヤドリギの意味は明らかでしょう:

「北ヨーロッパ(フランスを含む)では、クリスマスと元旦に、繁栄と長寿のシンボルであるヤドリギの枝の下で抱き合う習慣がある。」
(仏語版ウィキ)

「ヨーロッパやアメリカではクリスマスの日に恋人達がヤドリギの下でキスをするという習慣があり、その二人は永遠に結ばれるという言い伝えがあるんです。」
リンク

ハリポタにも、そういう場面があったような‥(^^)v
花言葉は、「困難に打ち勝つ」「忍耐強い」「征服」。また、イギリスでは、"Kiss me!"という花言葉もあるそうです。硬派の純愛って感じですねw



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