ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.19.4


ところで、宮沢賢治には、同名の『おきなぐさ』という童話☆があります:童話『おきなぐさ』

☆(注) 草稿の用紙から推定される執筆年代は、1922-23年で、『春と修羅・第1集』と並行する時期です。

オキナグサの花の下を、行ったり来たりしていたアリは、作者に尋ねられて、活き活きと答えます:
オキナグサは「大すきです。誰だってあの人をきらいなものはありません」。

そこで作者は、

「けれどもあの花はまっ黒だよ」

すると蟻は、

「…まるで燃えあがってまっ赤な時もあります…お日さまの光の降る時なら誰にだってまっ赤に見えるだろうと思います」

と答えるのです。

つまり、作者が上から見ると「まっ黒」な花ですが、

地面を歩いている蟻から見ると、
いつも下をうつ向いているオキナグサの花は、
太陽の光を透過させて「まるで燃えあがってまっ赤」に見えるわけです。

詩「おきなぐさ」の「黒のシャッポ」という換喩(メトニミー)は、作者自身を指していますが、
同時に、オキナグサの隠喩(メタファー)にもなっています。

上から見下ろせばまっ黒なオキナグサも、アリの目線から見上げると、まっ赤に「燃え上がって」いる──
‥‥同様のことは、「黒のシャッポ」にも言えるのです:

「黒のシャッポ」は、じつは、燃え上がるような激しい情熱に身を焦がしているのです。

詩「おきなぐさ」の「黒のシャッポの悲しさ」とは、
激しく燃え熾る性愛的情熱の裏返しなのです…

童話『おきなぐさ』では、このあと、
《七ツ森》の《生森(おおもり)》に近い野原に、2本並んで咲いたオキナグサの花が登場します:

「それは小岩井農場の南、あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわでした。かれ草の中に二本のうずのしゅげが、もうその黒いやわらかな花をつけていました。」

この“ふたり”のオキナグサの会話を聴いていると…
兄弟のように仲のよい恋人たちを思わせますね。

そして、いつかは(童話では2か月後)ばらばらになって、死後界へと飛んで行ってしまう宿命に対しても、喜んで静かに迎えようとする恋人たち──

‥‥そこに何か、自然の崇高さを感じないでしょうか?




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