ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.19.3


. 詩ファイル「おきなぐさ」

07ああ黒のしやつぽのかなしさ
08おきなぐさのはなをのせれば
09幾きれうかぶ光酸の雲

「光酸の雲」:空と、モワモワした雲の様子から、化学実験の試験管の中の光景を思い浮かべているのではないでしょうか?
例えば、
希硫酸に亜鉛を溶かし、過剰の水酸化ナトリウム水溶液を加えて中和すると、水酸化亜鉛の白いコロイド状沈殿ができます。これが、「縮れた亜鉛の雲」(作品「屈折率」)です。

天に向かってすくっと立つ・木々と花穂から触発された哀しみの心情は、
陽に輝く初夏の天空へと向かいます…

しかし、なぜ、「黒のシャッポ」に、オキナグサの花を載せるのでしょうか?

ここで、この詩の最初から、もう一度見て行きたいと思います:

01風はそらを吹き
02そのなごりは草をふく
03おきなぐさ冠毛の質直
04松とくるみは宙に立ち
05 (どこのくるみの木にも
06  いまみな金のあかごがぶらさがる)
07ああ黒のしやつぽのかなしさ
08おきなぐさのはなをのせれば
09幾きれうかぶ光酸の雲

「風はそらを吹き
 そのなごりは草をふく」

身の回りで草を揺らして吹いている地上の風は、天空を吹いている巨大な気流の「なごり」にすぎない…という観察が
描かれている「心象」のスケールを、大きなものにしています。

「おきなぐさ冠毛の質直
 松とくるみは宙に立ち」

しかし、足下で風に吹かれているのは、
まだ伸びはじめの草や、小さなオキナグサです。
オキナグサの軟らかい"うぶ毛"や"綿毛"は、邪念のない柔軟な感性を思わせます。
そして、松やクルミの木の粗い樹幹が、力強く天に伸びています。
「質直」という仏教用語で表現されたオキナグサは、天上の世界とつながりのある存在として(「冠毛」=綿毛によって、天へ飛んでゆく)考えられているのだと思います。

「 (どこのくるみの木にも
   いまみな金のあかごがぶらさがる)
 ああ黒のしやつぽのかなしさ」

ところが、枝から花穂をたくさん垂れ下げたクルミの木を見るにつけ、
友人の多くはもう結婚して子供までいるのに
いまだに身の振り方も定まらない自分の身が思われてならないのです。
同性愛者であるという重い秘密を背負っていたことを考え合わせれば、
「かなしさ」とは、決してセンチメンタルでも大げさでもありません。

「おきなぐさのはなをのせれば
 幾きれうかぶ光酸の雲」

帽子にオキナグサの花を一輪載せて空を仰げば、
晴れた空に切れ切れに浮かんだ雲が、強い陽に照らされていて、

まるで、強酸でできた大気に太陽の光が反応して、コロイド状の朧ろな雲塊を生じているような荘厳な風景です。

自分の黒い帽子に、似た色と形のオキナグサの花を載せることによって、

天上の世界とつながるオキナグサによって、天空へと飛び立って行こうとしているかのようです。

このスケッチでは、
「黒のシャッポ」に象徴されるような地上の悲哀と
はるかな天空の世界──そこでは、「風が吹き」「光酸の雲」が白く輝く──とが対比され、

スケッチは天空から始まって→地上に移り→また天空に移って終ります。

そこに表出されているのは、
賢治流のファンタジックな浄土──天空の世界への憧憬です。

《たくさんの赤子をぶら下げた》クルミの木や、堂々と天に伸びて行く松の木──結婚して家族をつくり、あるいは職業人として出世してゆく人々に満ちた地上の世界では、作者は現実から疎外されているのですが

地上で疎外された作者は、
オキナグサという柔和で可憐な存在に導かれることによって、
ファンタジックな天空の世界に受け入れられようとするのです。

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